結婚前の、男女の葛藤。

「本当にこの人と結婚していいの?」

大好きなはずなのに、幸せなはずなのに…。そんな想いとは裏腹に、不安は募るばかり。

カレンダーを見ると“結婚予定日”まで残りわずか。そんなタイミングで発覚した、改姓トラブルや妊娠・出産に関するアレコレ…。

2人は無事に危機を乗り越え、幸せな結婚を迎えられる?

◆これまでのあらすじ

結婚の挨拶をするため、陽介とともに実家へ帰省した桃香。そこで、ある事件が起きてしまう。

幼なじみ同士の結婚ということもあって、両親への報告はスムーズに進んだ。しかし「結婚後の姓をどちらにするか」という意見が割れてしまい…?

▶前回:婚活仲間からイチ抜けした29歳女。婚約報告の場で彼女たちから言われた、モヤっとする一言



「陽介くん。どうか雨宮姓を継いでもらうよう、もう一度考えてもらえないかな」

桃香の実家へ、結婚の挨拶に訪れた日。義父はどこか物憂げに、そうポツリとつぶやいたのだった。

「結婚後は桃香に、日向姓へと改姓してほしい」と思っていた陽介。しかし彼がこう主張してくることも、ある程度予想していた。

桃香の実家は有名な地主で、義父はその家の長男として生まれ育ったからだ。

そこで陽介は、桃香の両親に向かってこう答えたのだった。

「…お父さまのご意向は承知しました。このことは今後、私の両親とも話し合いをしたいので、もう少しお時間をいただけますか?」

改姓については、その場で即断できるレベルの話ではないからだ。

結婚を認めてもらえた嬉しさの一方で、改姓というあらたな問題が浮上してしまった。

そのせいで陽介は、どこかどんよりした気分のまま、桃香の実家をあとにしたのだった。


改姓問題に悩む陽介と桃香。そこで友人・芙美が…?

友人たちとアフタヌーンティーに来ていた桃香は、後味の悪い雰囲気で終わってしまった結婚報告の場を思い出して、沈黙していた。

「…桃香?大丈夫?」

心配そうに肩を叩いてきた絢の声で、ハッと我に返る。

「ごめん、ついボーッとしてて。私は大好きな両親と大切な彼、どっちの気持ちも大事にしたいんだけどね…。2人は一方の姓を選ばなければならないとしたら、どうする?」

すると芙美が、スコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗りながら、思い出したように口を開く。

「そういえば、私の親戚の人の話なんだけど…」

彼女の叔母は、一度は夫の姓になったのだが、最近になって2人そろって叔母の姓に戻ったらしい。

「へぇ、知らなかった…。そんなことってできるんだね」

桃香は目を丸くして芙美の話を聞いている。

「私もよくわからないけど“夫婦養子”っていうんだって。だから、とりあえず今は彼の苗字で、将来は雨宮を継ぐってこともできるんじゃないかな?」

「なるほどね…!芙美は相変わらず、いろんなこと知ってて頼りになるわ。陽介に話してみる」

― なんだか、解決策が見えてきたかも…?

こうして先ほどまで浮かない表情をしていた桃香に、笑顔が戻ったのだった。





その夜。桃香は、芙美から聞いた“夫婦養子”について、興奮気味に陽介へと伝えた。

「どうかな?”夫婦養子”を使えば、陽介がこれから起業するときには日向姓でいられるし、年をとったら2人で雨宮姓にも変更できるんだって」

父と陽介の要望を両方とも叶えられる、すばらしい方法だと思う。

しかし陽介は、難しい顔をしながら答えた。

「いろいろと考えてくれてありがとう。でもそんな簡単にできるものではないと思うよ。俺の両親が納得してくれるかわからないし、法律上の手続きも大変だろうし…」

こういう込み入った話のとき、陽介の冷静な分析が概ね正しいことは、桃香の経験上よくわかっていた。

深く考えずに舞い上がってしまった自分を恥じながらも、またスタートラインへと戻ってしまった悲しさに、桃香の口から自然とため息がこぼれた。

「もうどうすればいいんだろう…。まさか、夫婦別姓なんて言わないよね?」

桃香は夕飯のムニエルをテーブルに並べながら、陽介の顔色をうかがった。

「桃香、俺もちゃんと考えてるから少し落ち着いて。実は今日、結婚して奥さんの姓になった先輩に話を聞いてきたんだよ」

陽介が言うには、その先輩の結婚相手は家柄が良く、いわゆるお嬢様。お父さんが早くに亡くなったそうで、彼女が跡取りとなれるよう、お母さんが女手一つで育て上げたという。

彼女の母は「結婚するなら、お婿さんにきてもらうように」とずっと言われ続けていたらしい。

「先輩もそれを承知の上で付き合ってたし、そんなに自分の姓に執着していなかったから、彼女の家に婿入りする条件を飲んだんだ。でも…」

陽介はダイニングテーブルに並べた夕飯を食べながら、淡々と話を続けている。

「いざ結婚するってなったとき、先輩側の家族は、男が姓を変えることに大反対して。父親には“恥を知れ”とまで言われたみたいだよ…」

男女平等が叫ばれている現代でさえ、婿入りすることのハードルの高さに桃香は驚いた。

― やっぱり、陽介も私の姓になるのは恥ずかしいと思ってるのかな…。

桃香は手を止めて尋ねる。

「やっぱり、陽介のご両親も嫌がってるのかな?」

「…反対はされなかったけど、よく考えてって言われたよ。どちらかというと、父より母の方が悲しそうだったのが意外だったな。

やっぱり俺たちの親世代は、男が姓を変えるってことに関して、過剰に反応する人が多いみたいだ」

言葉を選びながら話す陽介を見て、桃香は義両親があまりいい顔をしていない、ということを察してしまった。

事実を確かめるのが怖くなり、桃香は思わず話をそらす。

「そうなんだ…。それで、その先輩たちはどうしたの?」

家族からそれだけ婿入りを反対されていたのに、先輩夫婦がどのように折り合いをつけたのかが、気になっていたのだ。


婿入り問題で両家が行った、ヒミツの取り引きとは…?

「詳しくは教えてもらえなかったけど、金銭のやり取りもあったみたいだよ。しかも結構な金額だったらしい」

「えっ、お金で解決したの?」

桃香は驚いて、飲んでいた水を思わず吹き出しそうになってしまった。

「結局、本人同士で話し合って決められる問題じゃないってことで、お互いの親が直接介入する流れになったみたいでさ」

驚くことに、妻側の母が“分厚い封筒”を手にして相手の家を訪れ、頭を下げて婿入りを認めてもらったようだ。

「それなりに財力が無いと、婿入りを望むことすらできないってことなんだろうね…」

陽介の話を聞いていた桃香は、あらためて結婚という“契り”の難しさを実感した。

「以前、ニュースでも夫婦別姓が求められてるって取り上げられていたけどさ…」

陽介は食洗機にお皿を入れながら、ポツリポツリと話し続ける。

「俺はそれを見て、自分たちが決められなかった姓の選択という問題を、なぜ子どもに押し付けて先送りするんだって憤りすら感じてた。

でもさ。いざ自分が当事者になってみたら、この制度の論争って簡単に解決できる問題じゃないって気づかされたな…」

「うん、本当にそうだよね。何かいい方法はないのかな?」

桃香としては、日向姓も雨宮姓も、どちらも大切にしていきたい。

― 雨宮姓を継いでほしいと言っているのは、お父さんだけ。やっぱり、ここは…。

「ねえ、桃香。もしもお義父さんが、どうしても雨宮姓にしてほしいって言うなら、俺の両親とも話し合いをしてもらえないかな」

どうやら2人とも同じことを考えていたらしい。桃香は、ゆっくりとうなずいた。

「ありがとう。今、一番つらいのは桃香だよね。俺とお父さんの間で板挟みになっててさ。…俺のせいで、またつらい思いさせてごめん」

「ううん、陽介のせいじゃないよ」

― 陽介だって、自分のご両親と私の両親の間で板挟みになってつらいはず。

そんななかでも気丈に振る舞ってくれる彼の優しさが嬉しくて、桃香は静かに微笑んだ。



入籍というタイムリミットまで、あと2週間。

2人は桃香が30歳になるタイミングに合わせて籍を入れようと、以前から決めていたのだ。だが話し合いが一向に進まない今の状況では、正直厳しい。

― 私、このまま結婚していいのかな?結婚って、もっと幸せなものかと思ってたのに。

こんなに大変な思いをしてまで、結婚する意味はあるのだろうか。

桃香は「婚姻後の夫婦の氏」の部分だけ記入できずにいる婚姻届を眺めながら、ぼんやりと考え込んでいた。

そうして悩んだ揚げ句、スマホを取り出す。

息を大きくスウっと吸い込んだ桃香は、“ある人物”へと電話をかけ始めたのだった。


▶前回:婚活仲間からイチ抜けした29歳女。婚約報告の場で彼女たちから言われた、モヤっとする一言

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悩む桃香が、電話をかけた相手とは…?