「相手にとって完璧な人」でありたい—。

恋をすると、本当の姿をつい隠してしまうことはありませんか。

もっと好かれようとして、自分のスペックを盛ったことはありませんか。

これは、恋するあまり理想の恋人を演じてしまう“背伸び恋愛”の物語。

◆これまでのあらすじ

東京に暮らすズボラ女子・芹奈と、伊勢志摩でワーケーション中の自信のない男・瑛太。芹奈との初デートの別れ際に、瑛太は芹奈が料理教室で出会った女・美羽から声をかけられた。

▶前回:月50万のお小遣いとハリーウィンストンの結婚指輪。なのに専業主婦の女が不幸に感じるワケ



さっきまで2人で過ごしていた部屋には、芹奈の香りがまだ残っている。

芹奈を見送って帰ってきた瑛太は、ソファに寝そべり、天井を見ながらため息をついた。美羽の言葉が、頭の中でこだまする。

「芹奈さんは、あなたが思ってるような女じゃないわ。あなたが好きになったのは、本当の芹奈さんじゃないの」

突然声をかけてきて、そう言った美羽。

一体あれは誰なんだろうと瑛太は訝しむ。そして、芹奈にLINEを送ってみた。

『みわさんって人、知ってる?』

『え、どうして?』

『さっき、帰り際に駅で声かけられて』

既読がついてからしばらく経ったあと、芹奈は『友達だよ!どうして?』と聞いてきた。

― 友達、か。

でも、芹奈の友達である美羽が、なぜ自分のところにわざわざ来てあんなことを言ったのか、瑛太は腑に落ちなかった。

美羽の言っている「彼女はね、あなたの理想を演じてるの」というのが本当なのだとしたら…。

― じゃあ芹奈は、俺といるとき無理してるのかな?それを美羽さんに言ってたのかも。それとも、一緒にいると頑張りすぎてしまって疲れるとか…。

相変わらず天井を見ながら、瑛太は“本当の芹奈”を想像してみる。

自分といるときはいつも満面の笑みの芹奈だが、本当はあんなにキラキラしてなくて、そこまで明るい性格ではないのかもしれない、と。


瑛太が下す、2つの決意とは…

― 理想を演じてるのかもしれないのか…。

瑛太はその可能性に自分の姿を重ね、さらに深いため息をつく。

完璧なデートコース、おしゃれなファッション、ホテルのように綺麗な部屋…。昨日、芹奈がうっとりとした表情で褒めてくれたそれらは、瑛太の力ではなく、外部サービスを活用した賜物であった。

だから、本当の自分を彼女に見せることができていないのは瑛太の方だと思ったのだ。



それから1週間、瑛太は考え続けた。

― 俺たちはインスタがきっかけで付き合った間柄なんだから、お互いのことをもっと知っていく必要があるな。

SNSやマッチングアプリで知り合うことには、瑛太はなんの抵抗も感じていなかった。周囲にも、そのような出会い方で晴れてカップルになったという人がちらほらいる。

しかし、直接会ったことのないまま恋に落ちてしまうと、相手の普段の姿を知ることがとても難しいなと思う。

そこで瑛太は、芹奈をもっと知るために、2つの決意をしたのだった。

1つ目は、ワーケーションをやめて東京に戻ること。そして2つ目は、東京に戻ったら芹奈と同棲をしてみること。

決意した瑛太は、早速LINEを芹奈に送る。

『俺、東京戻るわ。お互いのこと、もっと知るべきだと思うし。一緒に住んでくれないかな?』





付き合って1ヶ月。

瑛太から同棲の誘いを受けて、芹奈はとろけるような思いで快諾した。そして早速東京に戻ってきた彼と、品川のマンションで同棲を開始することになった。

同棲。

それは芹奈にとっては、初めての経験だった。

「今日から、よろしくね」

芹奈はペコリと頭を下げ、瑛太から割り当てられた自分用の部屋に荷物を運び込んでいく。

10畳ほどあるその部屋は、芹奈がずっと1人で住んでいた部屋と同じくらいの広さだった。

― 自分の部屋がしっかりあるんだから、同棲だってへっちゃらだわ。

そう思って、鼻歌まじりに部屋を整え始めた。

…この頃の芹奈は、これで瑛太との夢のような生活が始まると、心の底から思っていた。


瑛太との同棲は、芹奈が思い描いていた生活とはかけ離れていて…

芹奈は最初の数日間、思い描いていた通りのうっとりするような時間を味わった。

目が覚めると横に大好きな人がいて、1日が始まる。休日は部屋で一緒にNetflixを観たり、遅くまでお酒を飲んでじゃれあったりする。

同じ空間にいつもいられるというだけで、こっそりニヤニヤとすることもあった。

「同棲」と聞いてイメージするような、とても甘い時間を過ごすことができたのだ。

しかし、甘い時間ばかりが続くわけではない。同棲を開始して数日後に、芹奈はあることを悟ったのだった。

朝は瑛太より早起きして髪をブラッシングしてから、メイクもして、朝ごはんを作る。昼はお互いの部屋でリモートワークをし、隙間時間で芹奈は家事をする。そして、夕食も芹奈が作る。

料理も掃除も洗濯も、芹奈が一手に引き受けることになってしまったのだ。

瑛太は「手伝おうか?」と言ってはくれるのだが、芹奈は、いいところを見せたくて笑顔で断ってしまう。

「いいよいいよ、私、家事大好きだから」

芹奈がそう言うと、瑛太は「芹奈は本当に完璧だなあ」と満足げに微笑む。芹奈は瑛太からの言葉が嬉しくて、家事を手伝って欲しいとは言えずにいるのだ。

ルンバや全自動洗濯機はあるが、それでも家事にはかなりの時間とエネルギーが取られる。

ズボラな芹奈は、いつしか思うようになっていた。

― 疲れたなあ。

そして、同棲して2回目の土曜日の朝のことだった。

― この生活、もうしんどいかも…。ギブアップ…。

芹奈は、リビングでくつろいでいる瑛太に「ねえ」と声をかけ、完璧な笑顔を見せながら言った。

「瑛太ー?ちょっと明日から横浜の実家に行くわ。お母さんが私に用事があるんだって」

「そうなの?了解!」

瑛太は突然のことに少し驚いた表情を浮かべたが「いってらっしゃい」と微笑んだ。





横浜の実家のドアを開けた途端、芹奈は張り詰めた気持ちがゆるみドッと力が抜けてしまった。

いつ来ても変わらない笑顔の母親と、落ち着く玄関の匂い。

「おかえりー。にしてもあんた、同棲して2週間でギブアップってなによ?その人と相性悪いんじゃないの?」

母親は、芹奈の事情を聞いて困り顔だ。

「そんなことないよー。一緒にいて楽しいもん。でも、気を使うの」

「あんたねえ、そういうのを相性悪いって言うのよ」

母親の言葉に曖昧に笑って、靴を脱ぎ、リビングへ直行するやいなや床に寝そべった。芹奈は寄ってきた飼い猫をなでながら、久しぶりに心が軽くなっていく。

気を使う相手がいない空間。気持ちよさそうに伸びをする芹奈を見て、母親は微笑んだ。

「でもまあ、誰かの理想を演じるのって、恋って感じでちょっといいわね。懐かしいなあ。お母さん、ちょっと芹奈がうらやましい」

日頃の疲れが蓄積されているからか、しばらくして芹奈は睡魔に襲われた。まどろみのなかで彼女はふと思う。

― こんなに心地良い空間にいると、瑛太のいる部屋に戻りたいという気持ちが、まったく起こらないわ…。

あんなにワクワクしていた同棲だったのに、たったの2週間で嫌気が差してきてしまっている。

そのことに、芹奈は焦るような気持ちになっていたのだった。


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芹奈の「本当の姿」が、瑛太にどんどんバレていく…。