何不自由ない生活を送っているように見える、港区のアッパー層たち。

だが、どんな恵まれた人間にも小さな不満はある。小さな諍いが火種となり、後に思いがけないトラブルを招く場合も…。

しがらみの多い彼らだからこそ、問題が複雑化し、被害も大きくなりやすいのだ。

誰しもひとつは抱えているであろう、“人には言えないトラブルの火種”を、実際の事例から見てみよう。

記事最後には弁護士からのアドバイスも掲載!

▶前回:「パパ似の低い鼻は、ママが治してあげるね」美容外科医の妻が子どもに放った一言に夫がキレて…



Vol.3 愛をはかる婚前契約

■登場人物
・夫=水嶋俊雄(38)ゲーム会社勤務
・妻=智咲(30)大手建設会社広報
・知人=黒田(54)アメリカで起業した経営者

「結婚生活はうまくいってるかい?」

黒田に尋ねられ、俊雄は重い口を開いた。

「実は、離婚を考えていまして…」

3年ぶりの再会であり、ほかに積もる話もあったが、避けられない話題である。

俊雄はリクライニングチェアに深く腰掛けると、「はぁ…」と深く息をついた。それはいつもの“ととのう”感覚による爽快感を伴った吐息ではない。

「何か飲みに行きませんか?」

俊雄が声をかけ、2人はガウンを羽織ってラウンジに向かった。カウンターでドリンクを注文し、ソファに腰を下ろす。

黒田とは、5年ほど前に友人の紹介で知り合い、不動産運用についてのアドバイスをもらった。俊雄にサウナの良さを教えてくれた人物でもあり、このプライベートサウナの紹介者でもある。

黒田はその後、アメリカで起業して成功をおさめた。たまに日本に帰って来ていたが、今回はタイミングが合いサウナに誘われたのだ。

「確か、前回会ったときは、まだ結婚前だったよねぇ…?」

ちょうど3年前のその頃は入籍直前で、当然のごとく別れる気配など微塵もなかった。むしろ、俊雄は惚気とも取れるほどの不安を口にしていたのだ。

妻となる智咲が美人だったため、すぐに浮気をされてしまうのではないか…。本当は、自分の財産目的なのではないか…と、気が気ではなかった。

そんな俊雄に、当時黒田はある言葉を口にする。

「婚前契約って知っているかい?」


入籍直前に婚前契約を提案された女の反応は…

俊雄は智咲を夕食に誘うために、恵比寿にある『喜鈴 別邸』の個室を予約した。



「離婚することを前提にしているみたいで、なんかイヤだな…」

婚前契約のことを切り出すと、智咲は難色を示した。

「でもほら。うち、不動産のこととかいろいろあるじゃん。親戚からもしっかり管理するように言われててさ」

俊雄は5年前に父親を亡くし、不動産を引き継いでいる。家賃収入により、3,000万円以上の年収があるのだ。

「それに、財産以外でも、結婚後の生活について決めておいたほうがいいこともあるだろう?」

智咲は渋々うなずく。

「でも私、本当にお金なんていらないよ。結構貯金もあるし、仕事だって辞めるつもりないし」

「それでも、離婚するときにゼロってわけにはいかないだろう…」

智咲は、財産に対して本当に興味がないようだった。俊雄は半ば押し付けるように、財産分与は200万円、慰謝料に関しては発生しないということで話をまとめた。

「じゃあ、次は結婚後の生活についてなんだけど…」

むしろこちらの条件のほうに、俊雄は重きを置いていた。結婚するにあたり、もうひとつの懸念材料である浮気を防ぐための提案をしたかったからだ。

智咲には男の友人が多い。一緒に出かける機会も多く、たびたび男友達の話を聞かされては動揺していた。平静を装ってはいたが、交際に関しては常々制限を設けたいと考えていたのだ。

ただ、そんな目論見があることを悟られたくはない…。

「智咲は、友達が多いよね」

すぐに核心に触れず、何食わぬ顔で話を進める。

「よく飲みに行ったりするけど、結婚したらやっぱり世間の目とか厳しくなると思うんだ…」

智咲はうなずきながら聞いている。

「俺は全然いいんだけどさ。ちょっと控えるというか。まあ、男と2人きりで出かけたりはしないほうがいいかもね」

そう言い終えると、智咲はまっすぐに俊雄を見つめ、音がするようにグラスを置いた。

「そんなの当たり前でしょ?」

智咲は見損なわないでと言わんばかりに、ツンと口を尖らせる。

そのほか、家事や育児についての分担に対しても、智咲は自分に有利に働くような発言は一切しなかった。俊雄は、自分への愛は本物であると確信した。

後日、取り決めを書面にして、契約が締結されたのだ。

結婚後は、婚前契約を忠実に守り、幸せな生活を送っていた。しかし、あるとき潮目が変わる。

俊雄は、サウナに通い始めたことで、次第にカラダが絞られてきた。すると、女性からの印象が良くなり、不貞を働いてしまったのだ。そして、ひとりの若い女性に熱をあげ、後戻りできない状態となってしまった。

― まさか自分が…。

智咲を裏切る形になったことに対して、俊雄は深く後悔の念を抱いていた。契約上、離婚にあたり、慰謝料もなく、200万円という金額だけしか渡せないことも申し訳なく思っていたのだが…。


俊雄の抱く本当の悩みとは…

「まあ…3年もあればいろいろあるさ」

俊雄が事情を伝えると、黒田がつぶやいた。

「でもたぶん、婚前契約にはそこまでの法的な効力はないはずだから。奥さんには十分な金額を渡せるんじゃないかな…」

落ち込む俊雄に、慰めの声をかける。だが俊雄は、「違うんです」と首を横に振った。

「僕が悩んでいるのはそこじゃないんです」

俊雄はガウンのポケットからスマートフォンを取り出した。

黒田が差し出された画面を覗くと、それは男女が親しげに手を繋いで歩いている様子を、少し遠目から撮った写真だった。そこには俊雄と若い女性の顔がハッキリと写っていた。



「これは…?」

「智咲が、探偵を雇って撮らせたみたいで…」



つい先日のことだ。俊雄はリビングに智咲と居合わせていた。離婚を切り出すタイミングを見計らいながらも、逡巡しているところだった。

智咲がおもむろに俊雄の顔を覗き込んだ。

「言いたいことあるんでしょう?」

俊雄の心を見透かすように言った。

「私、知ってるよ」

そこで見せられたのが、今手元にある画像だった。

智咲は、俊雄の不倫にすでに気づいており、密かに証拠集めに動いていたのだ。手元には他にも証拠になる写真がたくさんあるという。

「離婚したいんでしょ?」

智咲は平然と言った。

「いいよ。でも慰謝料たっぷり頂くからね」

以前から智咲は、婚前契約にそれほどの法的効力がないことを知っていたようだった。そして、いつ離婚を切り出されてもいいよう、水面下で準備を進めていたのだ。

俊雄は経緯を伝え終えると、「はぁ…」とまた深く息をついた。

黒田もいたたまれなくなり、口をつぐんだ。

2人はしばらく、“ととのう”とは程遠い感覚に意識を漂わせた。



俊雄は本当に、契約にはない慰謝料を払わなければいけないのか…。

気になった黒田は、銀座に事務所を構える青木聡史弁護士のもとを訪ねた。


〜青木弁護士からのコメント〜
慰謝料ゼロは認められません


今回のケースでは、婚前契約において、財産分与が200万円、慰謝料ゼロとなっていますが、これは認められません。

財産分与の割合は、基本的には夫婦で半々。夫側の資産から考えて、200万円というのは相場を著しく下回るため、民法で定められている「公序良俗」に反していると言い得るからです。

それに、離婚の原因は夫側の不倫です。

不貞行為は、違法行為です。違法な行為をした場合に損害賠償責任を認めない旨の婚前契約の合意は、公序良俗違反として無効となります。したがって、妻は、夫に対し慰謝料を請求することができます。


そもそも婚前契約は結んだほうがいいのか?


婚前契約は、日本ではまだあまり馴染みがありませんが、アメリカなどではよく知られています。主に富裕層の夫婦が交わすものですが、一般の夫婦のなかにも交わす人もいます。

契約の内容は、主に財産についてです。それ以外の普段の生活における家事や養育、不貞をした場合などについて、取り決めをする場合もあります。

しかし、実際に婚前契約が法的にどれだけ効力を発揮するのかは、日本ではまだ前例が少ないだけに明確には言えません。それでも、結婚前に夫婦のあり方をお互いに見つめ直すという点においては、効果的なものと言えるでしょう。

口頭での約束でも有効です。

ただ、もし諍いが起きて争うようになったとき、書面化しておいたほうが齟齬も生まれません。書面にすることで、お互いに守ろうという意識も働きます。公正証書にしておくと、法的拘束力も強まります。


監修:青木聡史弁護士

【プロフィール】
弁護士・税理士・社会保険労務士。弁護士法人MIA法律事務所(銀座、高崎、名古屋)代表社員。

京都大学法学部卒。企業や医療機関の顧問業務、社外役員業務の他、主に経営者や医師らの離婚事件、相続事件を多数取り扱っている。

【著書】
「弁護士のための医療法務入門」(第一法規)
「トラブル防止のための産業医実務」(公益財団法人産業医学振興財団)他、多数。


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