「結婚しない男女が増えている」と言われる昨今。しかし東京の婚姻率は人口1,000人当たり5.5%で、なんと全国1位を誇っている。(※『令和2年 東京都人口動態統計年報』)

特に「東京都区部」と呼ばれる東京23区は、その中枢を担っているのだ。

ただ、結婚すればそれだけで幸せなのだろうか?

東京23区内は、エリアによって生活している人たちの特徴が全く異なり、価値観や悩みも違う。

それぞれの区に生息する夫婦が抱える、苦悩や問題とは…?

▶前回:妻が高学歴でないことに不満を抱く東大卒の夫。息子の小学校受験前、ついに最低な一言を放って…?



実家の家業問題に揺れる台東区夫婦/太郎(45)の場合


「親父が倒れた…?」

母親から電話をもらったとき、僕はちょうどオフィスへ戻る途中だった。

「そうなのよ。とりあえず早く来て」

電話越しに聞こえる母親の慌てた声に、僕もかなり動揺してしまった。取り急ぎ会社へ連絡をして午後を半休にしてもらい、僕は台東区にある病院へと急ぐ。

こういうとき、都内に暮らしていて本当によかったと思う。実家も遠くはないし、何かあったらすぐに駆けつけることができるから。

幸い午後は大きな打ち合わせも入っておらず、仕事も後輩に代わってもらえた。鼓動が速まる中、タクシー内で妻の里美にも連絡を入れておく。

「親父が倒れたらしくて。今、病院に向かってるから」
「えっ、嘘でしょ…?どうしよう。とりあえず私もそちらへ向かうね」

結果として親父は大した病気ではなく、後遺症もなかった。しかし一安心したのも束の間、急に親父からあることを言われてしまったのだ。


「太郎。実家へ戻ってきて、家業を継がないか?」

病室で親父からそう言われたとき、咄嗟に返事はできなかった。

家業といっても、浅草でこじんまりとした商店を営んでいるだけ。コロナで外国人観光客が減り、大打撃だったのも知っている。

だが都内の広告代理店に勤める僕は、それなりに安定した暮らしを手に入れてきた。

大変なこともあるけれど、仕事も楽しいし華やかだ。ここ最近、会社を辞めて独立したり、外資系に転職したりする後輩が急に増えた気はするけれど…。今の仕事が気に入っている。

でも、このままでいいのかという葛藤も生まれ始めていた。人生100年と考えたとき、もうすぐ半分になる。

自分らしく生きたいという思いもあるし、新しいことに挑戦するなら最後のチャンスかなとも思っていた矢先の話だった。

「…とりあえず、里美に相談してみるよ」

そう言って僕は病室を後にした。しかしその晩。妻にこのことを話すと、バッサリと斬られてしまったのだ。

「えっ!?ダメに決まってるじゃない」



「えっ!?…その、少しは考えてくれないの?」
「このマンションはどうするのよ。お義父さんのお店継いだところで、ここの家賃払えるの?学費とかで、これからさらにお金がかかるんだし」

田町駅から徒歩10分。今の2LDKのマンションは、家族3人暮らしで月々のローン返済額が約18万。でも最近は不動産価格が上がってきているので、今売れば買ったときよりプラス1,000万くらいにはなるかもしれない。

「ここを貸すか、売るかしたら別に問題はないかと…」
「は?」

妻は、とにかく気が強い。僕より1つ年上なこともあり、僕は結婚当初から頭が上がらないのだ。

「挑戦してみたいなと思って。それに、子どもの頃からずっとあった親父の店を潰したくないんだよ」
「じゃあ1人で勝手に引っ越せば?私たちは港区から出ないから」
「えっ、一緒には来ないってこと?実家だと部屋も余ってるし、ここの家賃収入も必要になってくるかもしれないし…」
「イヤに決まってるでしょ。私は、今の生活が好きなんだから」

里美の意思は固く、浅草への引っ越しをかたくなに拒否し続けた。

― 住みやすくていいところなのになあ。

そう思って何度も説得を試みたけれど、無駄だった。

そうこうしているうちに、親父も無事に退院できることになったけれど…。やっぱり、店は潰すという。



「親父。俺はこの店、継ごうかなと思ってるよ」

医者から止められていた飲酒もOKになり、久しぶりに親父と2人で酒を酌み交わす。

「そうか?でも、里美さんたちはなんて…?」
「そっちの説得は難しいかも。大反対にあってる」
「まぁ、そうだろうなあ。里美さんは今の生活環境が好きそうだし」
「でもさ。子育てするには、浅草エリアって悪くないと思ってるんだけど」

台東区は多子支援をするくらい、アットホームな区だ。下町情緒溢れているので、隣近所の家庭や地域コミュニティーとの距離も近い。

それが鬱陶しいときもあるかもしれないけれど、逆に地域のみんなで子育てをしてくれているような感じなので安心でもある。

またあちこちに商店街があって生活用品の買い物には困らないし、家賃相場だって港区よりはるかに低いのだ。

毎月返済しているローンの金額と同等の値段で、もう1部屋増やせるくらい広い家に住める。

「でもやっぱり、港区のほうがいいのかな…」

家業と家庭の両立に悩み、僕は板挟み状態だった。


東京のイーストサイドだって…


「ほら!早く学校行かないと、遅刻するよ」
「はーい。パパ、行ってきます!」

結局、僕たちは娘の小学校入学のタイミングに合わせて浅草へ引っ越してきた。田町の家は持ち家として人に貸し、現在は実家の近くで暮らしている。

引っ越しを提案したときの妻は、あんなにも渋っていたけれど…。その後タワマン内でママ友同士の揉め事が多発したようで、あの場所で暮らすのがイヤになったらしい。

そうして僕たちは、浅草で暮らしていくことを決断したのだった。

昔の里美は幼稚園の送り迎えだけなのに、いつも妙に小綺麗な服装をしていた。でもこちらへ来てからは少し気が抜けたのか、洋服も雰囲気も変わったのだ。

毎日電動ママチャリを飛ばして買い物へ行ったりして、なんだか楽しそうだ。

何より、刺々しかった妻が丸くなった。



引っ越すと同時に、専業主婦だった里美は仕事に復帰した。元々、大手メーカーの広報部にいた彼女は頭がキレる。今では一緒に店を切り盛りしてくれる、頼もしい相棒だ。

「太郎ちゃん、これ見て。また売れたよ」
「本当だ!」

この街にも少しずつ外国人観光客が戻ってきて、徐々に活気を取り戻しつつある。一時はどうなるかと思った家業も、意外に順調だ。

そして僕たちは新たにECサイトを始めた。海外へのシッピングを追加したり、商品のバリエーションを増やしたりしたことによって、意外にも売り上げが安定している。

夫婦間での会話も必然的に増えた。

「同じ東京でも、見える景色が全然違うよね。ここと港区では」

妻が作業する手を止めて、ふと店前の通りを見つめる。

コンクリートジャングル、東京。でも台東区は港区ほどタワマンが乱立しているわけでもないし、有名なビルやタワーがあるわけでもない。

しかし浅草寺や上野動物園をはじめとした、日本が誇るカルチャーがここにはある。

それに老舗の美味しい鰻屋や天ぷら屋、おでん屋などはどこにも負けない。近年ではイノベーティブな『ナベノ-イズム』も忘れてはならない名店だ。



「都会だけど、どこかノスタルジックで。地域密着型な感じがいいよね、浅草は」

下校時刻になると、店の前を元気な小学生たちが走り過ぎてゆく。

「おーい、危ないよ。車に気をつけるんだよ!」
「はーい!」

赤坂で働いていたときには見られなかった、こんな光景。そしてランドセルを背負った子どもたちの中から、一番可愛い子が僕の方へと走り寄ってきた。

「パパ、ただいま!」
「おかえり」

こうやって娘の成長を間近で見ることもできる。時間にも心にも余裕ができたし、思い切って引っ越しをして本当によかったなと思っている。

東京のイーストサイドも、意外に悪くないものだ。


▶前回:妻が高学歴でないことに不満を抱く東大卒の夫。息子の小学校受験前、ついに最低な一言を放って…?

▶1話目はこちら:大金持ちの彼にプロポーズされた瞬間、なぜか絶望した女。2カラットの指輪も貰ったのに…

▶NEXT:12月5日 月曜更新予定
なんとなく離婚せずにいる、世田谷区夫婦