レストランに一歩足を踏み入れたとき、多くの人は高揚感を感じることだろう。

なぜならその瞬間、あなただけの大切なストーリーが始まるから。

これは東京のレストランを舞台にした、大人の男女のストーリー。

▶前回:新年早々アプリで出会った彼とデートした33歳女。でも、1時間で解散って脈なし…?



Vol.27 瑞希(29歳)「いつものメンツ」が集まらなくても


私には、年に一回のお楽しみがあった。

それは毎年、新年会と称して仲間と大久保のエスニック料理店『ベトナムちゃん』で冬限定のレモングラス海鮮鍋を囲むこと。

メンバーは東京医科大出身で医師の祥太郎、日大芸術学部出身でフリーライターの凛、早稲田卒で外資系通信関連会社に勤める竜馬と、青山学院を出て都内の大手食品メーカーで広報をしている私・瑞希。

年齢は同じだけど、職業も雰囲気もバラバラな4人。

私たちの出会いは、大学時代にさかのぼる。

私が卒業前のアジア一人旅をしていた際、ベトナム・ホーチミンにある同じゲストハウスに偶然4人が泊まっていたのが出会いだ。

いまだにその時の話で盛り上がれるほど、濃い数日間を過ごした。

「結局修学旅行みたいになっちゃったよね」

「祥太郎、Facebook用に私たちに一人きりの写真撮らせたよね」

「だけど、俺らの影が映っていたんだよな」

「全然一人旅じゃないじゃん、と周りにつっこまれたという」

他愛ない思い出話で毎回盛り上がりながら、笑い声の絶えない時間。

1年に一度のこの会は、あのときの解放感をよみがえらせ、平坦な日常から解放される私のオアシスだった。

― 結婚しても子どもが生まれても、この新年会は恒例にしたいな…。

離れていても、心で繋がっていられる友情を、私はこの旅の仲間に会えて初めて知った。

しかし、昨今の社会情勢がそんな関係に亀裂をもたらしたのだ。


3年ぶりの再会


帰国後、すぐにこの店で集まったことをきっかけに、翌年もその翌年も集まり、毎年の恒例と化していたこの会。

レモングラス海鮮鍋は、クセになるほど美味で、毎年食べても飽きない。

ただ、大きな海老やサーモンなどの魚介類や牛肉、鶏肉そして、お野菜のたっぷり具材の豪快なお鍋だけに、4人以上の予約が必須で、急なキャンセルや人数追加は許されないというルールがある。

しかし、毎年この場を楽しみにし、そのために予定をあける私たちにとってそれは苦ではなかった。

だからこそ、3年ぶりの新年会にみんな集まってくれるものだと思っていた。

でも――。

今年、手を挙げてくれたのはなんと竜馬だけだった。



店ではこのご時世をきっかけに、2名でも海鮮鍋が予約可能になっていた。

そんなこともあり、ふたりだけでも集まることにした。

「仕方ないよね、祥太郎は医療従事者なんだもん」

私は、ベトナムビール・333をグラスで傾けながら、ため息をついた。

「行動制限はないけど、収束しているわけじゃないからね」

「凛は結婚してオーストラリア在住なんだって。お正月は、日本に帰れないみたいよ」

「……」

「……」

3年も会ってなかったせいもあるのだろうか。

いざふたりで会ってみると、話が続かない。

実は彼と1対1で会うのは初めてなのだ。

いつの間にか、互いにぐつぐつと煮える野菜や赤いスープをじっと眺め、静かに食べるだけの時間になっている。

しかも私は1週間前、3年交際していた彼氏と別れたばかり。

それもあって、誰かと陽気に話せるテンションじゃなかった。



― 食べ終わったら、すぐに帰ろうかな。

話題もなくなり、ただただ黙って、鍋の蒸気で眼鏡をずっと曇らせているだけの竜馬をちらりとみる。

曇りメガネが気になって仕方なかったが、彼に対して軽口をたたく気力もない。

思わずハァと、ため息をついてしまう。

「何かあったの?」

竜馬が呟いたので、私は慌てて息をのみこむ。

「まぁ……」

毎年集まった際の会話は、思い出話か仕事の近況報告がほとんどだった。

当時恋人がいるメンバーもいたが、色気のない間柄だったせいか、恋愛系の話は出たことはない。

私は腹をくくって、例の件を話すことにした。

これなら少しは時間をつぶすことができるだろう、と。

「最近、婚約者と別れたの。式場の予約までしてたんだけど、ご時世的に式を延期して……、そうこうしているうちに、2人の関係がギクシャクしてきて」

「え、ギクシャクって、どんな?」

意外にも彼は話に乗ってきた。話を切り出したからには、私もそれに応えざるを得ない。

「お互いの考え方の違いが露呈した、というか」

別れた婚約者は、本当に大好きな人だった。

しかし、この2年半の非日常的生活が自分たちの異なった感覚を浮き彫りにさせた。

価値観の違いに基づく些細なことだったが、結果的に修復ができないまでになってしまったのだ。

「『このご時世』じゃなければ、みんなとも集まれたし、私も結婚できたのに。パンデミックをきっかけに、人生が悪い方向に進んでるよ」

自虐的に嘆く私に、彼は曇った眼鏡を指先でクイとあげて言った。

「それはないね」


「え…?」

「そのまま結婚していても、結局別れていたでしょ。価値観が違うんだから」

日本刀で突然斬られたような鋭いひと言に、私は虚をつかれた。

まさにその通りだと思う。それは自分でも十分わかっていること。

私は竜馬にこのことを話して失敗だったと後悔した。傷心をえぐられたような気持ちになったからだ。

「まあ、そうだね…」

私は低い声で義務的に相槌を打つ。

すると、彼はどこか焦ったような表情になった。

「― あ、今の忘れて」

「え、“今の”って?」

「何も知らない僕が、訳知り顔で切り捨てちゃったよね。本当に申し訳ない」

コロっと態度が急変し、改めて謝られたことに、私も動揺してしまう。



「悩んでいる人には寄り添うべきなんだよね。瑞希さんの気持ち、全く考えていなかったよ」

「いや、必ずしもそうではないけど…」

「ごめん女性と1対1の会話に慣れていないんだ」

意外すぎて「なんで?」と尋ねると、彼ははにかみながら言った。

「ずっと男子校だったし、付き合ったこともほとんどなくて」

「みんなといるときは普通に喋っているのに?」

「大人数なら、なんとか。だから今すごい勉強中なんだ。相談所の担当者にダメ出し食らってばかりだけど」

「じゃあさっきの言葉も、担当者に言われたこと?」

「実は、そうで……」

その時、心の扉が開いたような気がした。

それから驚くように口が滑らかになった私たち。

盛り上がったのは互いの情けない恋愛自虐話ばかりだったけど、束の間に元恋人を忘れられた時間だった。



「美味しかったね」

鍋を食べ終えて、食後のベトナムコーヒーを待つ間、竜馬がふいに呟いた。

私は「うん」とうなずく。

その後、少し沈黙が生じたけど、数十分前に感じていた無言の時間への焦りはない。

むしろ、もっと彼と喋りたくて、話題を探しているほど。

ここ2年で私たちの生活は変わった。

私も人生がめちゃくちゃになって、友達とも疎遠になった。

「竜馬くん。今日は会えてよかったよ。ほかのふたりは来られなかったけど」

時代は私たちを離れ離れにしたけど、それをきっかけに関係が深まる人もいる。

「そうだね。ふたりでむしろよかったのかもしれない」

彼の言葉に私も思わず笑みが浮かぶ。



私は何もかも周りのせいにして卑屈になっていた。

だけど、今はそれがどこか愚かに感じている。

― 今の私がどん底なのは、もしかしたら、時代のせいじゃないのかな。

晴れやかな気持ちでいると、LINEでメッセージが入っていることに気づいた。

オーストラリアにいる凛からだった。

『今日は新年会の日だよね。私もリモートで混ぜて』

メッセージが来たことを竜馬に相談すると、彼はベトナムコーヒーで再び眼鏡を曇らせながら答えた。

「じゃあ、祥太郎も入れようか。彼からもちょうど、仕事が終わって帰宅したって連絡があったんだ」

私たちは急遽、別の店に移動して4人でリモート飲みをすることになった。

「その前に竜馬くん、さっきから眼鏡がいちいち曇っているのが気になるんだけど……」

「え、そうなの??」

曇りを拭くために何気なく眼鏡を外した竜馬の切れ長の目。

私の胸が急に高鳴った。

― いつか、「このご時世のおかげで幸せになれました」と言える日が来るのかな。

そんな不確かな淡い想いが自分の中で芽生え始めていた。



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