欲しいものは自分の力で手に入れる。

大手広告代理店で働く篠田涼子は、それが当然だと信じて努力を重ねてきた。しかし、男に頼って生きる港区女子・香奈の存在が涼子の心をざわつかせる。

香奈は、2年間不倫関係にあった倉田の嘘を知り落ち込むが、すぐに慶應出身のお坊ちゃん・洋輔からアプローチを受け距離を縮める。

しかし洋輔は、涼子の青春時代の元カレ。

2人の関係を知った涼子は、洋輔に要らぬ忠告をし、逆に痛恨のひと言を浴びてしまう。

一方香奈も、倉田の嘘を問い詰めてしまい、関係は破局へと向かうのだった。



ヤドカリの如く男の家を渡り歩く女


「はい、コーヒーどうぞ。」

六本木ミッドタウンの裏手にある、高級マンションのリビング。寝起きのままリビングにやってきた洋輔に、香奈は穏やかな笑みを向けた。

香奈は今、洋輔の家で暮らしている。

倉田と言い合いをしたのは、2週間前のことだ。「出て行け」と言われたわけではないが、その後音信不通となった彼の無言の圧力を感じないわけにはいかなかった。

「一緒に住んでいた兄が結婚することになって。…家を出なきゃいけなくなっちゃった。」

洋輔の家で何度目かの夜を過ごした時、彼の腕の中でぽつりとそう呟くと、洋輔は香奈の髪を撫でながら「それなら家に来ればいいよ。」と言ってくれた。

香奈の言葉を100%信じているかどうかは、正直わからない。しかし彼は香奈をそれ以上問い詰めることはなかった。



「…不思議だな。香奈ちゃんが、ここにいる。」

インスタントコーヒーをテーブルに置き、香奈の手を握って心から嬉しそうに笑う洋輔。

真っ直ぐな愛情を向ける彼の眼差しを、香奈は受け止め切れず目を逸らしてしまう。


「これだけ与えてやっているのに、君に責められる筋合いなどない。」


27歳から29歳という、女が最も美しく咲く時期を共にした倉田から、最後に言われた言葉。

男の愛を利用しているのは自分だと思っていたのに、実際は自分もいいように利用されていた。その事実を、未だ消化できないでいる。

―洋輔は、何が目的なのだろう?

そんな風に考えてしまう私は、心が荒んでいるのだろうか。それとも女の本能が発する、警告だろうか。


男に頼る香奈は、今度こそ幸せになれるのか?一方、仕事に邁進する涼子は…?

不安定でも、痛くても。それでも私は、ピンヒールで歩き続ける。


「今回のコンセプト、かなり評判いいですよ。売上も期待できそうだ。」

クライアント先である、某自動車メーカの会議室。進捗報告を一通り終えた後、広報担当の男にそう言って肩を叩かれ、涼子は上機嫌だった。

涼子がチームリーダーを務める新車プロモーションは、佳境を迎えている。毎日息つく暇のない忙しさ。しかしそんな仕事に忙殺される毎日が、涼子を救ってもいた。

仕事に集中していれば、洋輔と香奈のことを考えなくて済むから―。

オフィスに戻る道中、メトロに向かって歩く涼子の耳に、ピンヒールの音が小気味よく響く。

今日履いている靴は、マノロブラニク。まだ新入社員だった頃、多くの女たちの例に漏れずSATCのキャリーに憧れ背伸びして買ったものだ。

華奢なヒールでオフィス街を颯爽と歩くキャリアウーマンは、涼子の憧れだった。その姿は凛として美しく、まさに「才色兼備」の象徴。

しかし、折れそうに細いヒールで歩き続けることはとてつもない痛みを伴うのだと、30歳を目前に、涼子は思い知った。

才色兼備。それは涼子が大好きな言葉で、女性にとって最大級の賛辞。しかし両立し難い2つの要素を併せ持つ、選ばれし者であろうとする女たちは、外からは決して窺い知れない痛みに堪えているのだ。

―それでも私は、自分の足で立っていたい。

ふいに立ち止まり、覚悟を決めるように空を見上げる涼子。大きく息を吸い込むと、もうすぐそこまで来ている春の、匂いがした。



「よう、篠田。お前、最近調子いいらしいじゃん。」

オフィスに到着した涼子の前から歩み寄ってきたのは、同期の大樹だった。法政大学出身の彼は、何かと涼子に対抗意識を燃やしてくる。正直、苦手だ。

「…もしかして、最速出世とか狙ってんの?」

にやにやしながら、涼子の顔を覗き込む大樹。もう30歳になるというのに、一向に落ち着く様子のない大樹の肌は不自然に黒光りしている。

「別に。出世とか興味ないわ。」

くだらない、という表情で手をふり、その場を去ろうとする涼子に対し、大樹は捨て台詞のようにこんな言葉を投げつけた。

「じゃあ、女が身を粉にして働くモチベーションって、何なの?」

「…どういう意味?」

大樹を振り返り睨みつける涼子だったが、大樹の目はもう涼子を見ていなかった。

「部長ー!お疲れ様っス!」

小走りで、上司の元に駆け寄っていく大樹。遠くから、新しくできたガールズバーがどうのこうのとくだらない話をしているのが聞こえてくる。

涼子はやり場のない気持ちを吐き出すように溜息をついた後、自分を鼓舞するように呟くのだった。

「…仕事だ、仕事。」


女だって、自立して生きる。それは要らぬプライドなのか…?

女を武器にしたことも、言い訳にしたこともないのに。


19時30分を過ぎた頃、デスクで資料作りに没頭していると、後ろから部長に声をかけられた。

「篠田、そろそろ行こうか。」

「あっ…はい!」

慌てて保存ボタンを押し、PCをシャットダウンする。

新車プロモーションが好調だと知った部長が、食事にでも行こうと誘ってくれたのだ。仕事ぶりを評価してくれているのだとしたら、もしかしたら新たな抜擢なんかもあるかも…。

大樹には出世など興味ないと言い放ったが、できるものなら当然、歓迎である。涼子は胸を躍らせながら、上司の背中を追った。



タクシーで連れてこられた店は、西麻布の路地裏に佇む『レ・ビノム』。会社から程よい距離感にあるこのビストロは、港区を遊びつくした部長をも満足させる、とっておきの店らしい。


「どう、仕事は。もう8年目だったか?」


新人の頃の思い出、同僚の噂話…。ワインが進むにつれて饒舌になり、涼子は仕事への思いを部長に熱く語り始める。

同じ目線とはいかなくても、部長と2人で仕事の話ができるようになったことが嬉しい。ようやく一人前になれたような、誇り高い気持ちだった。

しかし、空いたグラスに赤ワインを注ぎ足そうと涼子が身体を近づけた時、部長が囁いたひと言は、そんな涼子の誇りが独りよがりであったことを否応なく突きつけた。

「今夜は、若い女の子と飲めて嬉しいよ。」

男は、絡みつくような視線を投げかける。

涼子はさっと身を引き曖昧な笑顔でその場をやり過ごしたが、部長のその一言で、それまでの高揚した気持ちは一気に冷めた。

涼子はその後の会話をまったく覚えていない。

部長は2軒目に行こうとしきりに誘ってきたが、仕事が残っているからとそそくさとタクシーを拾いオフィスに戻った。



―若い女の子と飲めて嬉しいよ。

涼子はこれまで一度だって、女を武器にしたことも言い訳にしたこともない。それなのに結局、「女の子」などと言われてしまうのか。

部長は何の悪気もなく言ったのだろう。むしろ彼は褒め言葉だと思っているのかもしれない。

しかし涼子が部長に認めて欲しいのは、若さや女としての魅力ではない。身を粉にしながら取り組んでいる、仕事の成果だ。

―悔しい。悔しい、悔しい。

深夜の営業フロア。化粧室の鏡に映る疲れ切った自分の顔を見て、涼子は泣き喚きたい気持ちを、必死で堪えるのだった。


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