TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25〜)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。6月24日(金)の放送では、「永井潔アトリエ館」に伺いました。

◆画家であり執筆家・永井潔が生涯描き続けた“自画像”

今回の舞台は東京都・練馬区にある永井潔アトリエ館。数多くの絵画や挿絵作品を発表し、さらには芸術論などの執筆でも知られる永井潔。ここは彼が長年過ごしたアトリエ兼住居を改装し、2017年に開館しました。

片桐は、そんな永井潔アトリエ館で開催されていた企画展「92年の自画像」へ。永井は1916(大正5)年、群馬県前橋市で生まれ、東京大学教養学部などの前身である第一高等学校に飛び級で進学。学者を目指すほどの秀才でしたが、多くの画家や文学者と出会いがきっかけで学校を中退。画家・硲伊之助に師事し絵の道を歩み始め、その後は芸術を通し激動の時代と自らを見つめ続けました。そして、92歳で亡くなるまで多くの自画像を残しています。

館内を案内してくれるのは、同館の館長にして永井潔の愛娘でもある永井愛さん。彼女は日本演劇界を代表する劇作家のひとりで数々の賞を受賞。海外でも注目されています。

愛さんは、父・潔の自画像に対し「私も後で知ったんですけど、自画像というのは色や造形の研究。モデルに頼むと時間を合わせたり、お金を払ったりしないといけないが、自分はいつでも描けるので、すぐに試したいときは自画像を描くと思うし、戦争中の自画像が多いのは、いつ死ぬかわからない自分を見つめるようなところもあったのかも」と語ります。

◆戦争とともに駆け抜けた20代、その自画像の背景

まずはアトリエ館の玄関から。そこに飾ってあるのは「横目の自画像」(1928年頃・画像左)/「11歳の自画像」(1928年・画像中央)/「ろくろ首の自画像」(1928年・画像右)。

少年時代の作品を前に、片桐は「小学校の時にもう自画像を描いていたんですね! むちゃくちゃうまい。大人びた絵を描くな〜」とビックリ。そして、「何を思って自画像を描いていたんですかね」と想像すると、愛さんは「やはりモデルになってくれる人が身近にいないとき、どうしても人間が描きたいときに描いたのかもしれない」と推察。

続いて2階のアトリエへ。大人へと成長した「23歳の自画像」(1940年)を前に、片桐は「めちゃ大人ですね。かっこいい」と声を上げていましたが、当時は第二次世界大戦真っ只中。永井は20歳で召集されたものの、張鼓峰事件で胸に銃弾を受け9ヵ月入院。その後、除隊となり帰国してきた後に描かれた作品だとか。

愛さんによると、永井は帰国後、この国の在り方を憂い、当時非合法とされていた社会主義関係の書物を読むようになり、それを預かっていたところ特高警察に踏み込まれ留置所行きに。本作は「一水会展」で入選したものの、作品の搬入時には留置所にいたため、永井の母が代わりに搬入したそうです。

片桐は「撃たれて除隊になり、それが20歳そこそこ。それから絵を描くにしても、ただ描くわけにはいかないですよね」と永井を慮ると、愛さんも「この時代に生きる自分は何かというようなことで、当時の青年は本当に自己と向かい合ったという話をしていましたね」と振り返ります。

そして、2度目の招集があり、再び帰国した直後の作品が「26歳の自画像」(1943年)。

帰国後すぐに自画像を描いたのは生きて帰ってきたからで「前線に出ていたわけではないが、そういう思いがあったと思う」と愛さん。しかも、本作は逆光の中で描かれており「それが自分を見つめるときにふさわしいと思ったんでしょうね。そういう時代の中にいるという気分が逆光の中に捉えられているなと思います」とも。片桐は「自画像を描くモチベーションというか、描かずにいられなかったというのを感じますよね」と頷きます。

さらに、「軍帽と煙草の自画像」は制作年不明とされていますが、愛さん曰く、おそらく3度目の召集を受けた1944年(28歳)頃のもので「表情がまたさっきの絵とも違いますよね」と片桐。

その後、永井29歳の頃に終戦を迎えますが、アトリエには戦争とともに生きた20代の自画像が所狭しと展示。一連の作品を通して片桐は「世界がどうなるかわからないというところで、絵を描くことの意味と自分とは何かということをずっと突きつけられている感じですよね」と感想を吐露。

愛さんも「芸術家というのは自由でありたいけれど、その自由な表現や言論が罰せられる時代に生きていたので、戦争が終わったときに『本当に嬉しかった』と言っていた。そして、日本国憲法ができたときも本当に嬉しがっていた」と父・潔を回顧。その後、永井は新しい美術家の在り方を求め、1946年に設立された「日本美術会」の設立メンバーとして奮闘。30代になると表現者として新たなステージへと向かいます。

◆父となり、執筆家としても活躍、そして最後の自画像は…

終戦後、永井は画家、さらには執筆家として本格的に活動していきます。1950年には結婚し、翌年に長女の愛さんが誕生。

しかし、その後すぐに離婚。練馬区に住居を移し、両親と娘との4人暮らしを始めます。その頃の作品が「35歳の自画像」(1952年)ですが、「これはずっと子ども頃から見ていた馴染みのある絵」と愛さん。一方、片桐は「バリバリやっているという感じ、上を向いている目線も希望というか、エネルギーを感じますよね」と素直な感想を伝えます。

なお、本作に関して永井自身が書いた解説には「暗緑色の空間にほの白く浮かんだ顔の色彩的な対比を狙った」、「赤の使用はライト・レッドだけに制限した試験的習作」とあり、やはり色彩などの実験として自画像を描いていたことが窺えます。

そして、片桐が「今までと趣向が違いますね、マンガチックというか」と目を丸くしていたのは、「自像一九五五」(1955年)。これは永井が39歳のときの作品ですが、画中にいるのは老人。愛さんは「おそらく自分の老後をカリカチュア(風刺)したもの」と言います。

愛さんは父・潔について、ものすごく考えていることがある一方で、笑っている姿が印象的で、とにかく笑うことが好きな人だったそう。物事を喜劇的な視点から捉え、「戦争で負傷した話なども笑い話になっていて。大変な目に遭っているんですけど、話は非常に上手でした」と懐かしそうに語ります。

また、永井はことあるごとに愛娘・愛さんをモデルにしていました。

愛さんは学生時代から演劇にのめり込み、30歳を迎える1981年に劇団「二兎社」を旗揚げ。そんな愛さんの舞台を、永井は必ず観に行ったものの、基本的に褒めることはなかったと言います。

そして、愛さんが50歳になっこれは愛さんを描いた最後の作品で、そこには「a playwright」と鉛筆で記されており「これは劇作家という意味で、そのときに私のことを劇作家と認めたんだなと思いました」との愛さんの話に、片桐は「素敵な話。画家と劇作家で違いますが同じ芸術の道で、お父さんも応援していたってことですよね」と感動しきり。たとき、永井が85歳のときに描いたのが、水彩画「a playwright」(2002年)。

これは愛さんを描いた最後の作品で、そこには「a playwright」と鉛筆で記されており「これは劇作家という意味で、そのときに私のことを劇作家と認めたんだなと思いました」との愛さんの話に、片桐は「素敵な話。画家と劇作家で違いますが同じ芸術の道で、お父さんも応援していたってことですよね」と感動しきり。

次の部屋は永井の寝室だった場所で、そこにあったのは「65歳の自画像」(1981年)。同年、永井は著書「反映と創造」を発表。

当時は芸術論に夢中で絵を描くより文章を書くことが多くなるなど、仕事の質が変わっていった頃で、愛さんは「これも自分を見つめようという意識があって、私はこの絵はすごく好き」としみじみ。

そして、永井の最後の自画像となるのは「90歳の横顔」(2006年)。

11歳の頃の自画像と同じく鉛筆で描かれており。「感慨深いものがありますね」と愛さん。片桐も「79年の差、すごくないですか!? 11歳から自画像を描いて、90歳ですから」と驚きを隠せず、「これだけ自画像を見ていると、もう人生を追いかけた感じがしますね」と目を見張ります。

◆自画像を通して永井潔の半生を辿る、それはまるで伝記のよう

最後は、ダイニングと潔の母の部屋を改装してできたカフェスペースへ。そこでは「キヨシ君、よくできました!」と題し、永井が幼少期に描いたスケッチなどが展示されています。

まず鑑賞したのは、祖母宛に送ったハガキに描かれた3歳の頃の作品「カトウキヨマサ(3才)」。

そこには戦国武将・加藤清正が描かれており、続く「弓を持つ侍(9才頃・画像左)」「宮本むさし(小学校低学年・画像右)」を前に、片桐は「宮本武蔵の“武蔵”という漢字が難しくて書けない頃にこの絵を描いている。これはすごくないですか! しかも、これは武蔵の後ろ姿。二刀流で肘まで描いている、(この年齢で)描けないですよ!」と驚嘆。

その後、永井少年は物語も描くように。それが「燕太郎物語(小学校低学年)」で、子どもに恵まれない夫婦のもとにある日燕が卵を持ってやってきて、不思議に思った夫婦が学者に見せたところ、中から元気な男の子が産まれ、“燕太郎”と名付けられたという微笑ましい物語。当時から絵だけではなく、文章を書きたい気持ちがあったことが見て取れる作品です。

こうして旺盛な創作意欲を爆発させていた潔少年はその後、大きな時代の渦に飲まれながらも生涯を通し、表現と向き合いました。

自画像とともに永井潔の生涯を巡った片桐は「いろいろな絵があるなか、自画像だけを見てきたんですけど、画家にとって自画像は自分がやりたいことの実験の場であり、自分を見つめ直すきっかけにもなっているということで、ひとりの人間の伝記を見ているような気持ちになりました」と感慨深そうに語ります。また、通常、歳をとると絵は見応えが変わっていくものですが「自画像となると、こんなにも突きつけられるものがあることを感じましたね」とも。

さらに今回、実の娘・愛さんに解説してもらったことに触れ「劇作家ですからしゃべるのが上手で、やはりお父様のことが大好きだったんだろうなということも語り口から感じました。それもありがたかったです」と感謝し、「画家、そして作家として激動の日本を見つめ続けた永井潔、素晴らしい!」と絶賛。92年の人生を作品で語り継ぐ芸術家に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、「柱湯」

永井潔アトリエ館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものの中から館長の愛さんがぜひ見て欲しい作品を紹介する「今日のアンコール」。愛さんが選んだのは「柱湯」(1967年)です。

これは埼玉県川口の鋳物工場の様子で、永井は現地に通って描いたとか。愛さんによると永井は労働現場を描くのが大好きで、特に本作のような光と影の中で人が働いている光景に惹きつけられたそう。そんな本作を、愛さんは「クールですよね」と評し、「彼は労働現場を描いていても、過酷で人が苦しんでいるというような感じではないんです。人が労働しているその姿に煌めきを感じ、描いていたんだと思いますね」と父・潔に思いを馳せると、片桐も「ものづくりのエネルギーみたいなものがありますよね」と感嘆。

最後はミュージアムショップへ。まず片桐が手にしたのは「挿絵てぬぐい」。「渋いですよね〜」とまじまじと眺めます。

続いてさまざまな作品がプリントされたクリアファイルを見ては「この中から自画像だけを見るってすごいタイミングでしたね」と今回の展覧会に思いを巡らせていました。

※開館状況は、永井潔アトリエ館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>番組名:わたしの芸術劇場放送日時:毎週金曜 21:25〜21:54、毎週日曜 12:00〜12:25<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00〜8:25<TOKYO MX2>「エムキャス」でも同時配信出演者:片桐仁番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/