TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25〜)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が、美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。2月5日(土)の放送では、「朝倉彫塑館」に伺いました。

◆日本屈指の彫塑家・朝倉文夫のアトリエ兼住宅へ

今回の舞台は、片桐が以前から行ってみたかったという東京都・台東区にある朝倉彫塑館。日本を代表する彫塑家・朝倉文夫が自ら設計を手掛けたアトリエが、当時の雰囲気のままに公開されており、さらには彼が半生を過ごした数寄屋造りの住居や庭園も楽しむことができます。

そもそも“彫塑(ちょうそ)”とは何かというと、朝倉の先生である大村西崖が作った言葉で、ものを彫り刻む彫刻に対し、彫塑は彫り刻むことに加え、粘土で肉付けなどをして形作ること。

その作品は、まず粘土で形を作り、石膏で型取りして原形を作成。

その原形を基にブロンズなどを流し込んで作ります。

同館の主任研究員・戸張泰子さんの案内のもと敷地内に足を踏み入れると、入口に早速作品が。それは朝倉が東京美術学校卒業後すぐに作った「雲」(1908年)。

生涯で400点以上もの作品を作ったと言われる朝倉の代表作といえば、早稲田大学の「大隈重信像」が有名ですが、それに比べて今作は「この頃は割とそんなはっきり目鼻立ちを描くという感じではないですね」と片桐。

館内に入ると「うわっ! すごいですね……」と片桐は声を漏らします。というのも天井がとても高く、その高さは8.5m。「今までいろいろな画家のアトリエを見てきたけど、このクラスは初めてですね。しかも、天井は外からの採光が入るように窓がついていて」とその立派な造りにビックリ。

そして、片桐が「いい表情のおじいさんですね」と破顔していたのは、朝倉が27歳のときの作品「墓守」(1910年)。

これは当時、彼が東京美術学校に通う道すがら見て、兼ねてからモデルにしたいと考えていた東京・谷中の天王寺墓地で働く老人がモチーフで、朝倉家の人が指す将棋の様子を見て笑っているところを表現したもの。自然な立ち姿、人生が刻み込まれたような表情は秀逸で、文部省美術展覧会で最高賞を受賞しました。

元来、自分の表現したいテーマに合わせて観念的なモチーフを選んでいた朝倉でしたが、この作品を機にモデルのありのままの姿を表現する自然主義的写実表現へと移行。徹底したリアリティで、作品に命を吹き込んでいきます。

続いては、女性の裸婦像「含羞」(1913年)。“含羞(がんしゅう)”とは恥ずかしがる、恥じらいといった意味で「1回も言ったことがないかもしれない(笑)」とはにかむ片桐。あまり使われることのない言葉ですが、このタイトルは、かの森鴎外が褒めたというエピソードが残っているそう。

また、その裸婦は「墓守」の老人の雰囲気とは異なり、さらには女性ならではの柔らかな肌の質感も丁寧に表現。片桐からも「肌感は滑らかで、顔の表情がなんともいえない。弥勒菩薩のように目を瞑って、ちょっと微笑んでいるようにも見える」との感想が。

◆巨大な作品を作るために…アトリエにはある秘密が

昭和に入ると、朝倉はより精力的に作品を制作していくなか、1932年に作られたのが前述の「大隈重信像」。朝倉彫塑館に展示されているのは、早稲田大学のものと同じ原型から作られたもので、その大きさに片桐は「でかいですね〜」と感嘆。

朝倉は面識のあった大隈重信の像を数多く作っており、国会議事堂のフロックコート姿の像、過去には芝公園に衣冠束帯姿の像が設置されていました。

そして、大隈と親交があったこともあって、その描写はとても細かく、例えば「大隈重信像」の口がへの字になっているのには、理由が。1889年に襲撃テロで右足を切断した大隈は以降義足で杖を使っており、杖を持つ手に力が入っているからこそ、口がへの字になったと言われています。

この他にも朝倉は大きな作品をいくつも制作しており、そのひとつが3m78cmにも及ぶ「小村寿太郎像」(1938年)。小村寿太郎とは日露戦争でポーツマス条約などに関わった明治の偉人で、そのリアルな像に、片桐は「この表情、今にも歩き出しそうな生々しさがありますね」と目を丸くします。

こうも大きな作品を作る際、通常は足場を組んで作りますが、朝倉はなんと電動の昇降台をアトリエ内に設置。年齢を重ねると、体力的にも作品制作で足場を上下するのは大変なため作品を上下させようと考え、むしろそのためにアトリエを作ったといえるそう。これには「新しいものに挑戦する、そのエネルギーがすごい。(作品が)大きければ大きいだけハードルが高いですからね……」と片桐。ちなみに今も床面と外すと、昇降機が現れます。

また、当時朝倉は弟子の育成にも注力しており、このアトリエには多くの学生が通っていました。しかも、東京美術学校教授時代、学費が払えずに辞めていった学生の受け皿としてアトリエを解放。片桐も「懐の大きな方だったんですね」と感心していました。

◆朝倉文夫が生涯愛し、作り続けたものとは?

アトリエに続き、併設されている朝倉の住居部分へ。まずは、その大きな書斎に「すごいですよ! こんなの映画のセットですよ」と圧倒されます。その蔵書のほとんどは朝倉の恩師が集めたものだそうで、没後に本が売りに出されると聞いた朝倉は、自宅を抵当に入れてまで買い戻したとか。

さらに進むと、まるでアートのような立派な庭園が。そこは“五典の庭”と呼ばれる庭で、朝倉の郷土・大分は非常に水の豊かなところで、それに倣いさまざまな水を表現。朝倉は耳を澄ませ、水の表情を見つめながら心を清め、次の作品に邁進していたそう。

そして、2階も明るい空間が広がっています。かつては朝倉の趣味だった東洋蘭の栽培のために設けられた温室「蘭の間」でしたが、現在は彼が生涯愛し、作り続けた「猫」の作品が並びます。

晩年の朝倉は、1964年の東京オリンピックと自身の活動60年を記念し、「猫百態展」を企画していたものの、病に倒れ、10月のオリンピックの前に、「猫百態展」も開催することなく死去。享年81歳、その直前まで病床に粘土を持ち込み、作品を作り続けました。

初の朝倉彫塑館を楽しんだ片桐は「存在は知っていたんですけど、やはり来てみないとわからないですね」と感嘆。そして「特に(朝倉彫塑館は)実際に見ないとわからない最たるものだと思います。彫刻ですから作品の周りをぐるっと回ったり、この空間の広さを感じていただきたい」と視聴者に訴えます。

さらには「お庭があり、住居部分、この建物全体が彫塑のために作られ、教え子たちに教えるための広さがあって、作品もさることながら、朝倉先生という人間を知るための場所が今も大事に残されているのはいいなと思いました」と語り、「その生き方全てが彫塑家、朝倉文夫さん素晴らしい!」と絶賛。作品に命を吹き込み続けた、偉大なる彫塑家に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、屋上に佇む「砲丸」

朝倉彫塑館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったものからどうしても見てもらいたい作品を紹介する「今日のアンコール」。片桐が選んだのは、「砲丸」(1924年)。屋上に佇むこの作品は、タイトルにもある砲丸を持った男性がまるで街を見下ろしているよう。「この位置がいいですね。街を見ている。街をパトロールしているみたいな感じですね」と見入っていました。

最後はミュージアムショップへ。大隈重信像などのポストカードを物色しつつ、とりわけ興味を示したのは、ここで一番人気の猫が描かれた「メガネ拭き」。さらには絵ハガキや箸置きなどを見て、ウキウキしながら店内を巡る片桐でした。

※開館状況は、朝倉彫塑館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>番組名:わたしの芸術劇場放送日時:毎週金曜 21:25〜21:54、毎週日曜 12:00〜12:25<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00〜8:25<TOKYO MX2>「エムキャス」でも同時配信出演者:片桐仁番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/