TOKYO MX(地上波9ch)のアート番組「わたしの芸術劇場」(毎週金曜日 21:25〜)。この番組は多摩美術大学卒で芸術家としても活躍する俳優・片桐仁が美術館を“アートを体験できる劇場”と捉え、独自の視点から作品の楽しみ方を紹介します。8月5日(金)の放送では、「練馬区立美術館」で朝倉摂の魅力に迫りました。

◆画家であり舞台美術家、マルチアーティスト朝倉摂

今回の舞台は、1985年に開館し、日本の近現代の美術作品を中心に斬新な切り口でさまざまな展覧会を開催してきた練馬区立美術館。

片桐は同館にて開催されていた舞台美術家であり画家、朝倉摂の生誕100年を記念した回顧展「生誕100年 朝倉摂展」へ。

1922年、彫刻家・朝倉文夫の長女として東京・谷中に生まれた摂は17歳から日本画を学び、若くしてその才能は開花。その後、活動の場を舞台美術へと移し、1970年代以降は蜷川幸雄や唐十郎などと演劇ブームを牽引。

今回の展覧会では、そんな摂の出発点である日本画から舞台美術にまつわる模型や資料、そして挿絵など数多くの作品を展示。学芸員の真子みほさんの案内のもと、彼女の類まれなる才能と魅力を紹介します。

◆振り返らずに日々挑戦し続けた日本画家・朝倉摂

まずは芸術家生活の原点となる日本画から。摂は日本画家・伊東深水のもとに17歳で入門。深水に習い、美しい女性像を描き始めますが、その初期の作品にして本展で最も古い日本画作品が「更紗の部屋」(1942年)。これは20歳のときの作品で、片桐は「20歳のとき、こんな大作を描いているんですね」と息を吞みます。

摂の父・文夫は彫刻家。そして、妹・響子もまた彫刻家でしたが、朝倉家の教育方針は、とても独特。摂は一度も学校に通うことはなく、台東区にある実家、かつて片桐も訪れた朝倉彫塑館に先生が訪れ教育を受けていたそう。

そして、20代まで実家で暮らし、その間、妹・響子とお互いスケッチをし合うなどし、切磋琢磨。響子をモデルにした作品は数多く残っており、本作は女性が正面を向いているものの腰から下は左に向けられ、右側のテーブルを含めると安定感のある三角形の構図となっています。

また、摂は常々“振り返るのが嫌い”と口癖のように言っていたそうで、終わったら壊す舞台美術は性に合っていたと言えますが、絵画においても過去を振り返ることなく絶えず新しいものに挑戦。作品のタッチもどんどん変わっていきました。

それが顕著にうかがえるのが、28歳のときの作品「群像」(1950年)。これは日本画と同じ顔料を用いるも、粒が荒いものを使って立体感を出すなど、女性の人体を追求。そのひとつの完成形と言える作品で、片桐が「安定感のある構図とは全く違いますね。顔が全部切れちゃっていますし」と話すように、作家性が大きく変化したのは明らか。

「いろいろな実験を繰り返して、自分のものにしていくってことですよね」と片桐は感心。摂のすごいところは、デッサン力。彼女は晩年まで毎日デッサンを欠かさず、それが力になっていたとか。その上で変化を恐れずに前進していき、作風を変えながらも女性像への深い関心は持ち続け、やがてそこに社会的な思想をも含まれるように。

30歳の頃に描いた「働く人」(1952年)は、第3回上村松園賞を受賞した摂の記念碑的作品。

この頃になると、彼女は他の作家仲間たちと労働者のスケッチに出かけることが増加。都内はもちろん、地方の炭鉱などに行くことも増え、本作はそこで繰り返し描かれたデッサンのモチーフが組み合わされたもので、その中で目立つのは手前の赤ちゃんを抱えた女性の姿。

片桐は「1952年、高度経済成長期の前ですから、自身も女性の作家として、その時代の女性はどう生きるかみたいなことに興味があったんでしょうね」と思いを巡らせます。当時の社会における女性、さらには美術の立ち位置などを問いかけるような作品となっています。

◆抽象的、一方でリアルも追い求めた舞台美術家・朝倉摂

社会問題への関心を深めていった摂ですが、やがて舞台美術の世界へと活動の幅を広げていきます。

続いては、彼女が関わった舞台美術の貴重な資料が並ぶエリアへ。そこでまず注目したのは、井上ひさしの戯曲「薮原検校」の舞台に関する資料です。

「薮原検校」とは、江戸時代を舞台に盲目の大悪党・薮原検校が悪事のかぎりを尽くし、最後は処刑される物語。今回はさまざまな資料、衣裳図やエレベーション(立面図)が用意され、さらには本展覧会のために作ってもらったという舞台模型も。

模型には多くの紐がかかっており、それらは古い布団の“きれ”をより合わせて作られたもので、その起源は摂の幼い頃の体験にあるとか。かつて人形を背中にいっぱい背負った物乞いを見て恐怖し、その記憶がこの表現に行き着き、本番では格子状のこの紐を動かし、時間と空間を表現するというような舞台だったそうです。

そしてもうひとつは、作・唐十郎、演出・蜷川幸雄と戦後の演劇界の大スターが名を連ねた「唐版 滝の白糸」(1975年)の資料。

これは摂が53歳のときの舞台で、当時、沢田研二さんの舞台デビュー作ということで大きな話題に。近年再演されており、本展では2013年にシアターコクーンで行われたときの舞台模型も展示されています。

長屋をイメージしたセットの様はかなりリアルで、片桐は「映画のスタッフとかを使って作ったぐらいの感じですよね」とその模型を興味深く注視。摂は抽象的なセットを用いた一方で、作り込んだリアリティのあるような舞台も得意で、こうした街並みはさまざまな作品に登場しているそうです。

◆さまざまな技法で本編に寄り添った挿絵画家・朝倉摂

舞台美術の世界でも才能を発揮した摂ですが、彼女の仕事を語る上でもうひとつ欠かせないのが“挿絵”。最後は演劇の舞台美術と並行して行っていた、挿絵作品を紹介。

まずは、ひと目見た片桐が「これは漫才師のおぼん・こぼんさんですかね、『おぼん・こぼん物語』じゃないですか」と印象を語っていたのは、1971年に描かれた、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の挿絵。

摂は作品に合わせてさまざまな技法を用いていましたが、これはアメリカの画家ベン・シャーンに寄せたもので、片桐も「確かに似ている! ベン・シャーン風のタッチだ! 作品によってタッチも全然変わるわけですね」とビックリ。

摂は刺激を受けたものをストック。そして、かねてからデッサンし続けてきたこともあり、その世界観は仕事とともにますます拡大。舞台美術と同時並行で挿絵の仕事も行っていましたが、そのタイミングはちょうど日本画が鳴りを潜めていた頃でもあり、摂は絵を描くことからは離れず、彼女にとってはそれがひとつの表現手段として大事だったことがうかがえます。

また同年、小説家・大佛次郎による白猫の白吉が主人公の作品「スイッチョねこ」の挿絵も手がけています。

摂にとって、猫を描くのはお手のもの。なぜなら、彼女の父・文夫は大の猫好きで多くの猫を飼っていたこともあり、摂も猫好きだったそうで、描かれた猫の表情はなんとも豊か。

なお、「スイッチョねこ」はこのたび復刊され、今回の印刷はかなり原画に近い明るさに。摂の作品は当時の印刷だとちょっとくすんで見えてしまうのですが、それもまた彼女のこだわりで、当時、印刷では出ないであろう色を多用。それは作品として“より良いものを”という意識の現れだと真子さん。

今回、画家であり、舞台美術家であり、挿絵画家でもある朝倉摂の作品の数々を堪能した片桐は「いろいろなジャンルで作品を作り続けた、そのエネルギーがすごかった」と率直な感想を述べます。

そして、「画風も伝統的な日本画から舞台美術、挿絵と渡り歩き、その作品の一つひとつの面白さもさることながら、ひとつの人生としてすごいエネルギーを感じますよね。僕も頑張ろうって気持ちになりました」ととても影響を受けた様子。その上で、「朝倉摂の知られざる魅力を紹介してくれた練馬区立美術館、素晴らしい!」と感謝しつつ、さまざまな分野で才能を発揮した、マルチアートの先駆者に拍手を贈っていました。

◆今日のアンコールは、松本清張「砂の器」の挿絵

練馬区立美術館の展示作品のなかで、今回のストーリーに入らなかったもののなかから学芸員の真子さんがぜひ見て欲しい作品を紹介する「今日のアンコール」。真子さんが選んだのは松本清張の名作「砂の器」の挿絵です。

これは1960〜1961年に発行された「読売新聞」(夕刊)に掲載されていたもので、興味深いのが連載1回目と2回目の挿絵。摂は小説内で同じ場所で会話が続いた際、視点を変えて描写。そうすることで動きを出し、読者を飽きさせないようにしていたそうです。

最後はミュージアムショップへ。この日見た「更紗の部屋」や「群像」のポストカードを眺め、「同じ人だとは思えないですよね。ほんの数年でここまで(作風が)変わりますからね」と片桐はその変化に改めて唸ります。

次に、復刻された「スイッチョねこ」の絵本を見ると「これはかわいいですね〜」と一気に破顔。さらには個性的なライオンやゴリラが描かれた「マグカップ」に思わず微笑む片桐でした。

※開館状況は、練馬区立美術館の公式サイトでご確認ください。

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<番組概要>番組名:わたしの芸術劇場放送日時:毎週金曜 21:25〜21:54、毎週日曜 12:00〜12:25<TOKYO MX1>、毎週日曜 8:00〜8:25<TOKYO MX2>「エムキャス」でも同時配信出演者:片桐仁番組Webサイト:https://s.mxtv.jp/variety/geijutsu_gekijou/