【ダイアモンド・ユカイの昭和ロックを語る時が来た!(4)】昭和の終わりごろ、日本にロックの大きなムーブメントが巻き起こった。その中心にいたバンド「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド・ユカイ(55)がゲストを招いて昭和ロックの歴史をひもといていく。今回も伝説のバンド「BOOWY」のドラマー、高橋まこと(63)を迎え当時を振り返る。BOOWYのブレークにつながる変化を生んだ人物とは?

 ユカイ:BOOWYの3枚目のアルバム「BOOWY」(1985年発売)は佐久間正英さんがプロデュース。別のバンドか?ってぐらい、それまでとは大きく曲調も音も変わったよね。

 高橋:あの時、レコーディング方法がガラッと変わったんだよな。俺のドラムの叩き方もあそこから変わったしな。

 ユカイ:まだドイツが東西に分かれていたころの西ベルリンで録音したんだよね。ベルリンってのがカッコイイよね。デビッド・ボウイが「ロウ」や「ヒーローズ」をとったスタジオを使ったでしょ。

 高橋:「ハンザトン・スタジオ」だな。デビッド・ボウイ好きの布袋(寅泰)が、そこがいいと言ったんだよ。佐久間さんの起用も布袋の希望だった。佐久間さんにやってもらったことが、バンドの流れを変えた感があるな。

 ユカイ:レコーディングはどうだった? 今から見ると、80年代ってレコーディングも進化の途中みたいな感じじゃない。BOOWYはいち早く新しい音を取り入れてたよね。

 高橋:佐久間さんは最新テクノロジーが大好きな人だったからね。出たばかりの「ザ・パワー・ステーション」(デュラン・デュランのメンバーを中心に結成。85年にデビューアルバム発売)のLPを持ってきて、「これどう?」なんてやってたよ。それよりあの時、俺と松井(恒松)は、みっちり指導されたんだよ。

 ユカイ:指導?

 高橋:佐久間さんはもともとベーシストで楽器ができたから、演奏する時の“タッチ”とかにうるさかった。(ベースの)松井は特に細かく言われてたなぁ。「強弱をつけなさい」「ただ弾くんじゃなく、ビートを出しなさい。グルーブを出しなさい」みたいな感じでね。松井はそれを忠実にやっていた。

 ユカイ:まことさんは?

 高橋:俺もドラムの叩き方で「押さえるんじゃなく、叩いたらすぐ抜きなさい。響かないから」って言われて、なるほどなと思ったよ。力任せに叩いてもいい音は出ないと、あの時わかった。今も進化中だと思っているけど、佐久間さんの影響は大きかったよ。

 ユカイ:それがまことさんの“黄金の8ビート”を作ったわけだ。あとベルリンのスタジオといえば、エンジニアのマイケル・ツィマリングがいたじゃない。「BOOWY」の時だよね、日本のバンドが初めて起用したの。

 高橋:そう、3枚目の時のエンジニアがマイケルだった。ヤツは“アンビエント”の音をうまく使ってたんだよな。ドラムの録音方法がそれまでとは全く違った。当時の日本では、ドラムはスタジオの片隅の小屋みたいな“ドラムブース”に入れられてさ。狭くて手が当たるわ、みたいな小部屋でとるのが当たり前だった。それがベルリンのスタジオでは部屋の真ん中にドラムがドーンと置いてあったんだよ。これにはちゃんと理由があって、マイクをドラムの近くだけではなく部屋の隅にも置いて、離れた位置での音や部屋の鳴りもとり、後でミックスしていた。だから音が全然違った。ユカイたちも一緒にやっただろ。

 ユカイ:俺たちはファーストアルバムから3枚目までマイケルだったよ。レッズはBOOWYとは反対側のオールドウエーブなロックだったけど、マイケルは違うアプローチで今風に聞かせる音にしてくれた。音作りが斬新だった。腕が良くて。

 高橋:日本人の感覚と違った斬新な音を作ってたよな。俺たちの後、マイケルは日本人ミュージシャンの間で超人気になって、すごく忙しかった。当時の人でやってない人いないぐらいだったんじゃない?

 ユカイ:そう考えると、BOOWYって時代を連れてきたね。エンジニアって目立たないけど、マイケルの存在も、日本のロックを変えたひとつの要素だよ。佐久間さんもあれからどんどん人気になったし、BOOWYの「BOOWY」は日本のロックヒストリーの中で、新しい夜明けだと思う。

☆ダイアモンド・ユカイ=1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズでデビュー。89年に解散後、数度再結成。ソロとしてのカバーアルバム「Respect III」、著書「タネナシ。」「育爺。」が発売中。2015年に織田哲郎と結成したバンド「ROLL―B DINOSAUR」の2ndアルバム「SUE」が発売された。

☆たかはし・まこと=1954年1月6日生まれ。福島県出身。ドラマー。77年に元「安全バンド」の長沢ヒロとHERO結成。78年、デビュー作レコーディング後に脱退。81年にBOOWY加入。87年の解散後は「De+LAX」ほか数々のバンドに参加。2016年に“最後のバンド”「JET SET BOYS」結成。最新作は「BIRD EYE」。過去の著書に10年分の情報をプラスした文庫版「スネア」が発売中。