【越智正典 ネット裏】あの男!といわれるのは決して威張ったり自慢したりしない男たちである。選手もそうだしスカウトもそうだ。

 当時大学生で、それから阪神スカウト、その後、大毎、ロッテの情熱のオーナー、永田雅一に見込まれて活躍することになる青木一三は昭和27年、京都山城高校、立命館大学の167センチ、56キロの吉田義男を獲っている。

 人呼んで「牛若丸」。京の五条の橋の上…、鬼の弁慶あやまった…、牛若丸がどれほどファンを湧かせたことか。現役17年。2007試合、1864安打、350盗塁、阪神監督3たび、阪神一筋25年。60年正力松太郎賞、平成4年殿堂入り。青木の殊勲である。

 ドジャースのオーナー、ピーター・オマリーは来日するたびに祇園で牛若丸に世話になっている。お市さんがもてなす。日本の美を知り、クリスマスカードを京都に特注している。

 巨人沢村栄治のキャッチャー、内堀保は「長嶋、広岡の三遊間より三宅、吉田のほうが上ですよ」。先年本紙に「好きだから投げた」を連載した津久見高校、日鉱佐賀関投手、ロッテ寮長池田重喜は「大洋時代、阪神のシートノックを見るのがたのしみで、阪神戦のときは、はやくベンチに入ってワクワクしながら待っていました。吉田さんのダッシュ、ジャンピングスロー、ダブルプレー…」。いまでも頬を染めている。

 いつだったか、ドジャー・スタジアムを訪れると広報部長フレッド・クレアーに双眼鏡を渡された。クレア―はLAの近郊ロングビーチ新聞の記者だったが誠実な人柄を認められて就任。ナショナリティーはフランス。

「ダブルプレーを見て涙を流している日本人がいると、近くの席のファンから知らせがあったんです。あのあたりです。見て下さい」。見てみると吉田と篤子夫人。吉田は当日券を買って観戦していた。謙虚である。

 翌朝、メイフラワーホテルで会った。牛若丸は烈烈、野球を語った。ウエーターが注文を聞きに来たときにコーヒー一杯で3時間も経っていた。このような想いが60年の日本選手権、阪神を日本一に導く。4勝2敗。11月2日、西武球場。チャンピオンフラッグを授与されると、吉田は西武ベンチに向かって深々と一礼した。

 青木一三は中等(高校)野球の名門市岡中学で一学年上の名ショート、蔭山和夫(早大、南海、南海監督)と二遊間コンビ。このことも自慢していない。青木が、吉田はわたしが獲ったんだ…というのを聞いたことがない。

「関大の学生だったときに関大の先輩、阪神の球団代表田中義一さん(25年7月〜31年11月)にいい選手を獲るように言われましてね。それで東京六大学一の慶応の二塁手松本豊くん(彦根中学、27年慶応主将、27年春、慶応の外野手福沢弘行=大阪高津高校のときは投手=とともに打率3割7分8厘で首位打者、28年都市対抗の名チーム鐘紡)を獲りに行ったんですが、空振りでした」。一見さんはスイとは行かない。

「このままでは先輩に申し訳ないので、吉田くんのところへ行ったんです。そういう時代だったんですよ」

 時代――。青木は先輩と後輩が固く結ばれていたときを胸に刻んでいたのである。 

=敬称略=