前文部科学相の馳浩衆院議員(56)が26日、武藤敬司(54)がプロデュースする「プロレスリングマスターズ」第2弾興行(東京・後楽園ホール)で約11年ぶりの現役復帰を果たした。選手としてリングに立つと、全盛期と変わらない動きで観衆を魅了。気になるのは今後の継続参戦だが、プロレス界からは早くも「待望論」が巻き起こっている。

 2006年8月に引退して以来、約11年ぶりにプロレスのリングに戻ってきた馳氏は、全盛期と同じ黄色いコスチューム姿で入場曲「Two Hearts」に乗って入場。1626人(超満員札止め)の観衆から大歓声で迎えられた。

 試合では新日本プロレス時代の先輩だった藤波辰爾(63)、長州力(65)と組み、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNT(52)組と対戦。多忙を極める政務の合間に1日1時間のトレーニングを重ねてきた成果もあり、9分過ぎには指をグルグルと回すアピールからカブキの足を抱えると、代名詞だったジャイアントスイング20回転を披露。場内を沸かせた。

 1990年9月14日の新日本広島大会で大流血させられた因縁のムタからイス攻撃の洗礼を受ける場面もあったが、最後は裏投げからの鮮やかなノーザンライトスープレックスホールド(北斗原爆固め)でTNTをフォール。試合後はマイクで「夏の夜の夢を終わらせないようにしたいと思います!」と叫ぶと「1、2、3、レジェンド!」の掛け声で大会を締めくくった。

「このままリングに(継続して)立てるんじゃないかと思うくらい素晴らしかった」(藤波)、「全然心配することはなかった」(長州)と大先輩たちから絶賛された馳氏は「思う存分やらせてもらいました」と満足そうな表情を浮かべた。

 その一方、継続参戦については「色気も出さないし、自分のやることをしっかりやります」と話すにとどまった。「自民党に逆風が吹いている状況では、有権者の目もある。しばらくは政治に専念せざるを得ないのではないでしょうか」(プロレス団体幹部)という声も聞こえており、現状ではすぐに次戦というわけにはいかない事情もある。

 それでも政界の風向きが変われば、何が起きるか分からないのがプロレス界だ。今大会に出場した選手たちからは「馳さんが来て、試合前から緊張感があった。プロレス界が元気になる存在。武藤さんと2人でかじを取り、プロレス界をまとめてほしい」という声が相次いでいるのだ。

 実際、プロデューサーの武藤には、馳氏に継続参戦を進言する動きもあるという。世間一般的な知名度が高い馳氏の参戦は、集客面で特に効果が大きかった。参戦が発表された直後にプレイガイドのチケットが完売。追加販売するに至った。

 ただし年2回のペースで開催される同イベントは年内はこれで終了予定で、第3弾大会は来春になる模様。武藤が本紙に対し「俺としてはいつでも大歓迎。あとは先生次第だな…」と含みを持たせたように「一夜限りの夢」では終わりそうもない。

【継続参戦には「やることをしっかり」】

 ――試合を終えて

 馳氏:尊敬する藤波さんと長州さんがそばにいて、思う存分やらせてもらいました。

 ――継続参戦は

 馳氏:色気も出さないし、自分のやることをしっかりやります。文科省も安倍政権も足元が揺らいでいる中で、若い後輩諸君を育て、裏方で支えることも大事。

 ――トレーニングは

 馳氏:1日1時間、体育の時間と決めて体はつくってきた。リングに上げてもらうのに政治家のにおいがあったら嫌だから。

 ――マイクで「夢を終わらせないようにしたい」と話した

 馳氏:それは武藤がやるべき話。このリングがあることが真夏の夜の夢だよな。また会う日まで by 馳。以上。

【プロフィル】はせ・ひろし 1961年5月5日生まれ。富山県出身。レスリング選手として石川・星稜高3年生で国体に優勝した。専修大を卒業後、星稜高の教員を務め、84年ロサンゼルス五輪にグレコローマン90キロ級で出場。85年にプロレスへ転身し、新日本プロレスでIWGPジュニアヘビー級、同タッグ王座を獲得。得意技は北斗原爆固め、ジャイアントスイング。95年の参院選で石川選挙区から出馬して初当選。2000年に鞍替えし、衆院選に当選した。東京五輪大会実施本部長、文部科学相などを歴任した。当選6回。