<元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」=ハイメ・ガルシア投手(ヤンキース)>

 これぞメジャーリーグという事態を目の当たりにした。ちょっと前にドジャー・スタジアムで話を聞いたばかりのハイメ・ガルシアが、その数日後にツインズへトレードが決まり、そうかと思えば1試合に投げただけで今度はヤンキースに移籍。どうやら旬の選手のようなので、今回はハイメを取り上げようと思う。

 彼は米国テキサスとの国境の町であるメキシコのタマウリパス州レイノサ出身で、わざわざ学生ビザを取得し、高校2年生からテキサスの学校に通った。父も“越境通学”の経験者で「僕にも大学やプロへ行くチャンスをつくれるよう、英語を学べるようにと通わせてくれた」そうだ。

 誰でもできることではない。親が仕事をしていて学費と生活費を賄えるだけの経済力を証明すること、テキサスに生活拠点があること…などの条件がある。「父はすごく働き者の土木工事業者。大変だったけど、幸い叔母がテキサス側に住んでいて、平日はそこで暮らし、週末は実家に帰る生活だった」という。

 メキシコ人の彼が米国の高校へ行けたことは、野球をする上で大きな意味があった。「メキシコリーグではルールがあって、メキシコで生まれた選手はメキシコでプレーしたあと、リーグが選手の権利を売らないと出られない。ドミニカ共和国みたいにフリーエージェントとして契約することはできない。高校でドラフトされていなければ、僕はずっとメキシコから出られなかったかもしれない」。そんな理由もあって、隣国の野球大国でありながら現役のメキシコ人選手はメジャーに十数人しかいない。

「メキシコで多くの問題が起こるのは国境近く。ドラッグの密輸や人身売買が盛んに行われていて他の町に比べて治安も悪い。そこで育つのは大変だったし、当時よりもさらに治安が悪化しているから、僕は今、昔のようにはなかなか戻れない。とても悲しいよ…」。トランプ大統領が壁を造ると豪語している両国の国境は、シビアな現実に直面している。

“越境通学”で高校時代を過ごしたハイメは2005年のドラフト22巡目(全体680位)でカージナルスに指名された。下位だったため、奨学金で大学へ進学する手もあったが「僕は英語ができずあまり勉強についていけなかったから、そのチャンスがなかった」。それに加えて、ドラフト直前に左ヒジの靱帯を切ってしまうアクシデントに見舞われた。「ヒジの中の何かが音を立てて破裂し、めちゃくちゃ痛い。いわゆるトミー・ジョン手術(側副靱帯再建術)が必要な状態。ドラフト直前に…その瞬間僕の夢は押しつぶされ、自分を見失いかけた」

 カージナルスは彼との契約を見合わせることも検討した。最終的にMRI(磁気共鳴画像装置)だけ撮り「OK。契約金は下げる。オペもしないが、君にどんな才能があるか見る機会を与える」とハイメをルーキーリーグに送った。もちろん、最速134キロの球しか投げられない高校生にリハビリも専門のトレーナーが付くこともなかった。そんなハイメがメジャーで4度の2桁勝利をマークするなど通算67勝を挙げるまでになったのは「痛みに耐える方法を学んだ」ことが大きかった。 =つづく=

 ☆ハイメ・ガルシア 1986年7月8日生まれ。31歳。メキシコ出身。188センチ、98キロ。左投げ左打ち。2005年のドラフト22巡目で指名されたカージナルスに入団。08年7月11日のパイレーツ戦でメジャーデビュー。同年9月にトミー・ジョン手術を受ける。10年に先発枠に定着し、翌11年と2年連続で13勝をマーク。その後は故障に悩まされたが、15年から2年連続で2桁勝利を挙げた。昨オフにトレードでブレーブスへ移籍。今年7月24日にトレードでツインズに移籍するも1試合に投げて1勝しただけで同30日にトレードでヤンキースに移籍した。