元局アナ 青池奈津子「メジャー通信」

【アルバート・プホルス内野手(エンゼルス)】「プホルスのおかげで友人が救われたんだ」

 知人が教えてくれた2007年の悲しい事故。当時16歳だったジョーダン・ヘンダーソンさんの運転していた車がゴミ収集車と衝突して亡くなった。一人息子の突然の死にご両親の父ケンさんと母ドリスさんは悲しみのどん底に陥った。テネシー州リバデール高校の野球部で投手だった彼のお葬式には何百人もがその死を悼みに訪れたそうだ。

 その約2か月後、2人にある電話がかかってきた。プホルス・ファミリー・ファンデーション(PFF)のトッド・ペリートと名乗る人物からで「カージナルスのアルバート・プホルスがあなたの息子さんのことを知って哀悼の意を表しています」。

 ジョーダンさんは生前、プホルスの記事を財布の中に入れて大事にしていた。その擦り切れた切り抜きには熱心なキリスト教徒であるプホルスの神への祈りも記載されており、遺品の中から発見したドリスさんはその言葉が救いになればと葬儀の参列者にコピーして配った。それにより感銘を受けた人々、祈りによって救われた人々がPFF宛てにメールや手紙などを送り、テネシー州から約550キロ離れたミズーリ州のセントルイスにいたプホルスの耳に届いたのだった。

 心を痛めたプホルスは、ジョーダンさんがつけていた「背番号7ヘンダーソン」のカージナルス全員のサイン入りユニホームをご両親に贈り、2人を球場に招いて面会した。ドリスさんに会い、実際にジョーダンさんの切り抜きを見たプホルスが少し席を外した時「泣いているのよ」と彼の妻デイトラさんは言ったそうだ。

 ドリスさんご夫婦はこの時の経験を「ジョーダンが亡くなってから初めて安らぎと落ち着きを感じられた。たくさん泣いたけれど、彼のそばにいるだけで強くなれた気がした」と話している。

 また、その年のクリスマスにジョーダンさんの髪色とよく似た色のゴールデンドゥードル犬をプホルスからプレゼントされたドリスさんとケンさんは、その犬を「AJ(アルバート・ジョーダン)」と名付けた。AJは今も2人とともに元気に生活している。

「とても…悲しい事故」と当時を振り返りながら教えてくれたプホルス。「彼らは唯一の息子さんを亡くされたんだ。乗り越えなければならない痛みは計り知れず、今でもきっと思い出しては胸を痛めることもあると思う」

 あれから10年。ご夫婦とは深い友情関係が築かれ、PFFナッシュビル支部で大きな役割を担ってくれているという。プホルスは忙しい選手生活で実に多くの人に手を差し伸べている。

「そうやって育っただけだよ。僕は貧しい家の出だけど、いつも周りの人たちを気にかける、他人を助けるのが当たり前の家族だった。神様がくれたこの素晴らしいギフトは責任も一緒についてくる。僕らの仕事はついてくる者たちの見本になること。僕も幼いころは同じだった。メジャーリーガーを見て憧れてまねをしたから」

 普段笑わないこわもての彼が、この時「憧れたのはフリオ・フランコやチッパー・ジョーンズだったな」と「フフフッ」と見せてくれた笑顔が今でもとても印象に残っている。

 PFFはダウンシンドロームの子供たちを助ける慈善団体。「ダウン症の娘を持つ父親としてももっと認知度を上げ、同じ症状で悩む子供たちを助けてあげたいって、それだけだよ」

 ☆アルバート・プホルス 1980年1月16日生まれ。37歳。ドミニカ共和国サントドミンゴ出身。身長190センチ、体重104キロ。右投げ右打ち。16歳で家族とともに米ミズーリ州カンザスシティーへ移住。99年にドラフト指名されたカージナルスへ入団。2001年4月2日のロッキーズ戦で開幕スタメン入りし、メジャーデビュー。同年は打率3割2分9厘、37本塁打、130打点の新人離れした成績をマークし、ナ・リーグ新人王を獲得。以降、10年まで10年連続で3割30本100打点の記録を達成。個人タイトルも首位打者(03年)、本塁打王(09、10年)、打点王(10年)を獲得。ナ・リーグ年間MVPにも3度輝き「MLB史上最高の打者」と評する声も多い。12年からエンゼルスでプレー。来季から大谷とチームメートになる。