【越智正典 ネット裏】12月26日は巨人軍結団記念日(1934年)である。巨人の男たちは球団史に痛烈で、ときには心やさしい名セリフを残している。

 初代主将久慈次郎は「アメリカを倒すにはもっと野球を好きになろうよ」。総監督市岡忠男も「アメリカを倒すにはその回の第一打者を討ち取らなければならない」。

 二人が対米戦について叫んでいるのは「大日本東京野球倶楽部」(巨人軍)のその「創立趣意書」で、第一期はパシフィックコーストリーグと、第二期でビッグリーグと世界選手権争覇戦を戦う…としていたのである。

 市岡の叫びは若い選手に受け継がれ、第一期黄金時代が幕を開けようとしていた前年の38年、巨人ベンチに充ち充ちていた「ゲット・ナンバー・ワン!」。戦後、第二期黄金時代、監督水原茂は試合に敗れると、選手に「胸を張れ! 堂々と引き揚げるんだ」。

 49年、苦心の末、巨人に戦後初優勝をもたらした水原の前任三原脩は、50年は肩書きこそ総監督だったが多摩川暮らしの窓際。シベリアから帰って来た水原が50年から監督になったのだ。

 三原はパイレーツとクリッパーズの合併チーム、西鉄ライオンズの監督に迎えられて去った。新橋駅から夜行列車に乗車する前、早大の後輩南村不可止と会っていた。「不信の座にいるより新天地で餓死したほうがましだ」。

 前人未踏のV9を達成する監督川上哲治はテレビコマーシャルをよく口ずさんでいた。山内一弘が選手に打撃を教え始めると「(やめられない、やめられない)カッパエビセン」。“監督はわかってるゥー”と選手に大受けに受けた。得点圏の二塁にいた走者迫丸金次郎が突然、三盗を始めると「せまいニッポン、なぜ急ぐ!」。巨人ベンチは爆笑。これも受けた。

 監督藤田元司は、関西遠征の宿、竹園(ホテル竹園芦屋)に着き、お好みの献立を聞かれると「なんでもいいですよ。あるものでお願いします」。

 猛牛千葉茂は「バッティングとは祈ることだ」。

 青田昇は「休みの日に駅で、さて、どこへ行こうかと時刻表を見上げるような気持ちで打席に立つんだ」。

 長嶋茂雄はその日、ゆったりと打席に入ると球審松橋義喜に「おい、松五郎!」。松橋も負けていなかった。「なんだ、長五郎!」。

 王貞治は新人時代から「巨人はいいチームです。練習さえしていれば給料を貰えます」。

 巨人が結団以来初めて最下位に落ちた75年、コーチ国松彰は「ビリになったのは弱いからです。弱いのは野球が下手だからです。下手なら練習をすればいいんです」。王貞治は毎日、試合前後、国松の家に寄ったが国松が飼っていた小鳥の「ピーちゃん」が大好きだった。=敬称略=(スポーツジャーナリスト)