いきなりですが、まず初めに謝らせてください。今回のコラムは、馬の名前や人の名前が出せません。と、いうより、私の自己判断で出しません。その点だけはご容赦ください。ただ、信じていただきたいのは今からのお話が紛れもない事実であるということです。

レース後に異常が…

 ある寒い冬の日、栗東から遠く離れた競馬場で一頭の競走馬がレース中に大けがを負いました。普通にゴールへ入線していたので、映像で見ている分には分かりません。それどころか、レース後の上がり運動も普段通りこなしていたそうで、きっと競馬場にいた方も気がつかなかったと思います。

 ところが、厩舎に帰ろうとしたとき、徐々に異変が訪れました。脚を引きずって痛そうにしているその馬を担当者さんが慌てて獣医さんに見せて検査をしてもらったところ、脚の骨が縦にバッキリと裂けていたのです。通常であればその場で崩れ落ちてもおかしくないようなけがでしたが、「馬自身、アドレナリンが出ていて痛みを感じていなかったのでしょう」との診断だったそう。

 競走馬が手術をして治らないほどの骨折を負ったとき、予後不良となってしまうのは皆さまもご存じかと思います。それについての善悪はいろいろなご意見があるかと思いますが、現状、生かすことがただただ馬を苦しめる時間になってしまうという事実がそこにあります。

 しかし、この時はすぐにその判断とはなりませんでした。競馬場では栗東トレセンの競走馬診療所ほど大がかりな手術はできません。連れて帰って判断するか、すぐ楽にさせてあげるか。その2択が迫られたのです。

「硬いギプスで固定して、包帯をぐるぐる巻きにすればもしかすると持つかもしれません。ただ、馬運車に揺られているうちに骨が飛び出してきてしまう可能性や、馬が体を支えきれなくなって暴れる可能性は多々あります。無事に着けたとしても手術をできるかどうかはまだ分かりません。どうしますか」

 もちろん、この判断は馬主さんに仰ぐもの。別の競馬場におられた調教師さんからすぐに連絡をされたそうですが、「自分は直接見られないから、馬がどういう状況か分からない。そばにいる厩舎の方の判断が一番正しいから、全て納得します」と委ねられました。

 栗東に連れて帰るか否か。それは痛みに苦しむ馬を目の前にしながらの、つらい選択となりました。

「…楽にしてあげてください」
 
 某競馬場から栗東トレセンまでは馬運車で8時間以上。先に獣医さんがおっしゃった通り、骨の折れ方から道中で皮膚を突き破ってきてしまう可能性は大いにありました。栗東でも手術ができるとは限らない。むしろ、助かる可能性が1割もないくらいだというのなら…。いたずらに苦しませるより、自分が判断してあげないとと思ったそうです。

 判断された方を近くで見ていたという助手さんは言います。

「でも結局、自分だけ栗東に帰ってきてからは相当キツそうだった。むしろ1%の選択肢なんか与えてほしくなかったと思う。その場合、獣医さんから〝もう助からない〟という判断は下してもらえないのかな。俺らはどうしても、馬に対して感情が入ってしまうんだから」

人にも必要なサポート

休むことなく競馬開催は続く(写真と本文に出てくる競馬場は関係ありません)

 自分の前で命が消えてしまうということは、誰にとっても精神的なダメージがあるのは当たり前です。でも確かに、獣医さんなら厩舎の助手さんとは違う、一歩引いた医療従事者としての目で判断できるのではないか。私もそう思いました。なので、医師である私の父に聞いてみることにしたんです。

「たった1%でも可能性があるのなら、厳しいけどリスクを全て説明した上で、本人やご家族に判断を仰ぐしかないね。そうでないと、医者が選択肢を奪うことになってしまう。そんな権利は医者にはない」

 ただ…と父は続けました。

「人間と違って、馬は話せないから、本人の意思が聞けないのはつらいだろうね。助手さんというのが家族みたいなものだとするなら、結局どんな判断をしても自分を責めてしまうことがあるんだろう。その後の、〝人のメンタルサポート〟も大事なんじゃないか」

 それを聞いて思い出しました。海外の競馬では競馬場にホースマンのメンタルサポート専門の方がいて、事故で馬が命を落としてしまった際に、まず担当者のもとへ飛んできてくれると、ある調教師さんからお聞きしたことがあるんです。そして、日本にも絶対必要だと思う、ともおっしゃっていました。

 競馬記者として4年間仕事をしてきて、担当馬を失った方々を何人か見てきました。その時にプロによるメンタルサポートがあったなら、と感じることも多々ありました。

 日本は海外とは違い、心療内科などにかかることに一定の抵抗感を感じる方が多いと聞きます。でも、心のけがも体のけがと同じで、プロの支えがあった方が、回復の手助けになるのではと思います。つらさが軽くなるわけではなくても、それを自分ひとりで抱えたままでいるよりは…。現場の方々の意見を一度吸い上げて、日本の競馬界に検討してみてほしいなと、いち競馬記者として感じます。競馬という文化が、これからも人の情熱と競走馬への温かい思いとともに続いていってほしいから。

著者:赤城 真理子