
【記者が振り返る懐かしのベストレース】名牝ウオッカを送り出したタニノギムレットと、牡牝の2歳チャンピオンを誕生させたキングカメハメハ。ともにダービー馬であることなど2頭の種牡馬の共通点は多々あるが、何より重要なのは松田国厩舎の管理馬だったということだ。
「いかに種牡馬にして牧場に帰すか。牡馬に関しては常にそう考えています」(松田国調教師)
成績を残した馬が種牡馬になるのではなく、種牡馬にするために成績を残す。目指すゴールは同じでも、松田国調教師のアプローチは全く違った。
NHKマイルC→日本ダービーを筆頭とした新しいレース選択は、種牡馬としての価値を高めるためのもの。02年タニノギムレットのシンザン記念は、賞金加算のほかに種牡馬としての付加価値をつける目的も実はあったのだ。
「この時期の3歳馬にとって、マイル重賞を勝てるスピードを見せることができるかは非常に重要。それは最終的にダービーを目指している牡馬であってもです」
ダービー馬でありながらマイル重賞も2勝。特に02年シンザン記念のレースぶりは、好位から楽に抜け出す教科書通りの競馬。大外→直線一気が代名詞のタニノギムレット本来のイメージとやや離れた内容は、同時にマイラーのエッセンスを感じるものだ。
「馬産地の方に、よりニーズのある種牡馬をつくりたい」
当時はダビスタ調教師とも言われた“マツクニ流”にはすべてに明確な意図がある。タニノギムレットが歩いた足跡、特にその第一歩となったシンザン記念はその原点とも言えるレースと認識している。(2010年1月6日付東京スポーツ掲載)

著者:東スポ競馬編集部