
【記者が振り返る懐かしのベストレース】京成杯は1961〜98年までの第1〜38回まで芝1600メートルで行われていた。その38回のうち、東京競馬場で行われたのが計10回(残り28回は中山)。中でも75年のテスコガビーは、後に桜花賞、オークスの2冠に輝いた希代の名牝として印象深い。
テスコガビーの強さをひと言でいえば、圧倒的なスピードに尽きる。当日の東京競馬場の芝は発表こそ良だったが、非常に時計のかかる馬場。勝ち時計1分37秒5は一見平凡に映るが、70年の勝ち馬アローエクスプレス(1分37秒1)らと比較すれば決して見劣るものではない。結果として2着イシノマサルにはアタマ差まで詰め寄られたが、3着には4馬身差。2頭のマッチレースだった。出走馬14頭中、ただ1頭の牝馬でありながら単オッズ1・6倍の圧倒的な支持を誇ったこともこの馬の強さの表れだろう。
74年最優秀3歳(当時)牝馬、75年最優秀4歳(同)牝馬を受賞。オークスを制した際に鞍上の菅原泰夫(現調教師)が、馬名の由来にもなったスイス人少女のガビーちゃんを馬上で抱きかかえていたのも印象に残っている。同騎手はこの年、カブラヤオーでダービーも制し、まさに一世一代、一躍世間に名を知らしめる年となった。
余談になるが、この年の前年の年度代表馬は同じテスコボーイを父に持つキタノカチドキ。それ以前は重厚な種牡馬が日本競馬界の主流だったが当時を境に力と力のぶつかり合いからスピード勝負へと体系そのものが変わったように思う。2000メートルの今と趣こそ違うが、1600メートル時代の中でもテスコガビーは異彩を放つ存在だった。(2012年1月11日付東京スポーツ掲載)

著者:東スポ競馬編集部