トウショウファルコ(写真は91年東京スポーツ杯)

【記者が振り返る懐かしのベストレース】横浜湾岸の高台に位置する根岸森林公園。1866年に造られた横濱競馬場の跡地であり、今では市民の憩いの場となっている。競馬ファンにとってもなじみは深く、馬の博物館やポニーセンターなどを訪れたことのある人も少なくなかろう。

 この公園内の遊歩道脇にひっそりと置かれているのがトウショウファルコの追悼石碑。競走馬としてでも、種牡馬でもなく、誘導馬として人気を集めたまれなサラブレッドだが、そんなファルコとて重賞勝ち馬。92年冬は競走馬として最も輝いていた瞬間だった。

 三白流星、尾花栗毛、金色のタテガミ――。見栄えのする容姿とは裏腹に生まれつき爪にウイークポイントを抱えていたため、条件クラスをウロウロしていたトウショウファルコがようやく本格化したのが5歳秋。明け6歳の金杯(中山)で初重賞制覇を飾り、返す刀で参戦したのがアメリカJCCだった。

 前年の宝塚記念の覇者メジロライアン、重賞の常連シャコーグレイド、カリブソング…GⅡらしい骨っぽいメンバーが集まった中、スタートから果敢にハナを奪い、直線を迎える。最後まで“走るベルばら”の脚色は衰えることなく、2着に1馬身半差で余裕しゃくしゃくと逃げ切って見せた。

 GⅠの大舞台も見えてきた勝利だったが、この後は持病の裂蹄が悪化、同年の天皇賞・秋(15着)を最後に引退した。その不完全燃焼とも言うべき競走馬としての幕の閉じ方は、来たるべき“第2の多忙な馬生”へ余力を残すためだったような気がしてならない。(2010年1月20日付東京スポーツ掲載)

著者:東スポ競馬編集部