
【血統値】障害GⅠ9勝の金字塔を打ち立て、2022年の中山大障害(6着)を最後に現役を引退したオジュウチョウサン(牡12)が、生まれ故郷である北海道・日高町の坂東牧場から、けい養先となる同町のYogiboヴェルサイユリゾートファームへ移動。新生活をスタートさせた。オジュウチョウサン以前の名ジャンパーとしてはフジノオー、グランドマーチス、バローネターフらの名が挙がる。時系列順に各馬の活躍ぶりを振り返ってみたい。
1963年秋、64年春、秋、65年春と中山大障害4連覇を達成したのがフジノオーだ(99年に中山グランドジャンプが創設されるまで同レースは年2回施行)。65年秋の中山大障害で2着に敗れると、翌年から勝ち抜け制(後に撤回)となったために海外遠征を決行。世界一過酷と言われる障害レース・英グランドナショナルにも出走した。このレースでは飛越を拒否し、競走中止となったものの長期遠征を続け、翌年にはフランスで2勝。史上唯一、海外での障害戦で勝ち星を挙げた日本馬として知られている。
同馬は引退後に生まれ故郷である北海道・浦河町の不二牧場で種牡馬入りしたが、種付け頭数も少なく活躍馬は出なかった。21年にはこの世紀の名ジャンパーを取り上げた「そしてフジノオーは『世界』を飛んだ」(辻谷秋人・著)という本が出版されており、同馬と周囲の人間たちのストーリーを堪能できる。
グランドマーチスも74年から75年にかけて中山大障害4連覇を達成。それだけでなく、京都大障害3連覇という偉業も果たした。獲得賞金は3億円を超え、唯一障害馬として顕彰馬に選出されている。引退後は岩手県・遠野市で乗馬用の種牡馬として平穏な余生を送った。
77年から79年にかけて、中山大障害を通算5勝したのがバローネターフ。日本史上初めて3年連続で最優秀障害馬に選ばれている。引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。種付け頭数は多い年で4頭という状況で活躍馬は出せず、後にグランドマーチスと同じく遠野で乗馬用の種牡馬となった。
種牡馬として最も成功した障害馬はゴーカイだ。2000、01年に中山グランドジャンプを連覇。前記3頭に比べると実績では劣るが、オーナーである吉橋計氏が所有する牝馬に積極的に種付けを行い、血統登録された産駒数は75頭。04年生まれのオープンガーデンが11年のJ・GⅡ阪神スプリングSを制し、史上初の障害重賞父子制覇を達成した。
では、種牡馬としてのオジュウチョウサンにはどんな未来が待っているのだろうか。父であるステイゴールドは後継種牡馬としてオルフェーヴル、ゴールドシップがGⅠ馬を送り出した一方、13、14年と春の天皇賞を連覇したフェノーメノはわずか6年で種牡馬引退となった。初年度の16年には146頭もの牝馬を集めたものの、最後となった21年には18頭にまで減っていた。ダート系種牡馬の人気が高まる中、ステイヤー系種牡馬にとっては厳しい現状が続く。
オジュウチョウサンの種付け料はフェノーメノの80万円を上回る100万円というやや強気な設定。オーナー以外にどれだけの牝馬を集められるかも大きなカギとなろう。11歳まで現役を続けた偉大な父の産駒たちに期待されるのは父子障害GⅠ制覇となろう。父となったオジュウチョウサンからも目が離せない日々が続く。
著者:東スポ競馬編集部