【だから競馬が好きなんです】
障害レースを見るのが怖いと思ったことはありますか?
平地のレースに比べ、確かに事故が多く、また大きなものになりやすい傾向から、管理する調教師さんですら「飛ぶときは目をつぶってる」という方もいるくらい。なので、好きな馬の障害レースは、応援したい気持ちと、怖いという気持ちのせめぎ合いが起きてもおかしくないかと思います。また、障害レース自体を否定する声も一部にはあって、競馬ファンとしても複雑な気持ちになったりするのではないでしょうか。
そんな方々にお伝えしたいのは、昨年から栗東へと拠点を移された小野寺祐太騎手のお言葉。
「障害レースについて、いろいろな意見があるのは分かっています。僕自身、騎手として乗っているからこそ、危険性だって知ってる。それでも、自分の餌代は自分で稼がなきゃいけない競走馬たちが〝生きていく道〟でもあると思うんです」
未勝利戦が終わるまでに平地で結果を出せなかったり、もしくはクラスが上がって頭打ちになってしまったり、年齢を重ねてスピードについて行けなくなったり…。競走馬が障害へと転向する理由はさまざまです。ですが、どの馬にも共通するのは、障害デビューするまでには騎手とマンツーマンの練習をじっくりと重ねるということ。普段は落ちている枝にすら驚いてしまうようなサラブレッドたちが、あの大きな障害に向かって行けるようになるためには、まず〝乗っている人間を全面的に信頼してもらうこと〟が大切なのだそう。
「普通の馬の調教とはまるで種類が違うと思います。仲良くなることから始めて、障害を何度も見せて、声をかけながら怖くないよと教えて、小さな障害からまたがせていって…。そういう調教を日々時間をかけてやることで、例えば闘争心だけでガーッと走ってしまっていた子でも、背中にいる僕らに意識を向けてくれるようになるんです。基本的に障害物のことは怖いわけだから、人間を頼ってくれるんですよね」
平場を走るときよりさらに、馬が鞍上とコミュニケーションを取ろうとしてくれるようになること。そして障害物を飛ぶことで鍛えられる筋肉。それは、もしまた平地のレースに戻した際にも役に立つだけでなく、彼らが引退を迎えた後にも、乗馬などで非常に役に立ってくると小野寺騎手は言います。
「あんなにたくさんの感動を与えてくれたオジュウチョウサンだって、もともとは(平地の)未勝利馬だった。きれいごとって言われても、僕は障害騎手に誇りを持っているし、一緒に走ってくれる馬たちに感謝しているし、障害レースが大好きです。安全に飛ばすよう努力するので、競馬ファンの皆さんには、障害馬たちのことも同じように応援してもらえたらうれしい」
そんな小野寺騎手が、〝五十嵐忠男厩舎所属馬として〟最後まで乗っていた障害馬がテイエムチューハイ。彼は五十嵐厩舎の最終週も小倉の春麗ジャンプステークス(25日)に出走予定でしたが、無念の除外になってしまいました。新しい厩舎での活躍を願うばかり…。でもその前に、競馬ファンの皆さまへ、五十嵐厩舎が昨年に成し遂げた障害重賞の皆勤賞という記録をご紹介したいのです。
定年を前に史上初の記録達成

3月12日・阪神スプリングジャンプ…タガノエスプレッソ
4月16日・中山グランドジャンプ…マイサンシャイン
5月14日・京都ハイジャンプ…タガノエスプレッソ(優勝)
6月25日・東京ジャンプステークス…マイサンシャイン
7月30日・新潟ジャンプステークス…トワイライトタイム
8月27日・小倉サマージャンプ…シャイニーゲール
9月17日・阪神ジャンプステークス…シャイニーゲール
10月16日・東京ハイジャンプ…グローリーグローリ
11月12日・京都ジャンプステークス…テイエムチューハイ
12月24日・中山大障害…テイエムチューハイ
私も、五十嵐厩舎の攻め専で、忠男調教師の息子さんである友樹助手に教えていただき初めて知ったのですが、さらに深く調べてみると、これは1999年に障害重賞が年間10レースとなってから初めての記録だと分かりました。
「そうだったんだ。全然狙っていたわけじゃないから知らなかったよ。JRAもなんか表彰してくれないかなぁ」
五十嵐調教師にこの記録のことをお伝えすると、そう言って笑っておられました。そして、テイエムチューハイに乗っていた小野寺騎手からお聞きした障害レースへの思いについてもお話ししてみると、「うん、僕もまさに同じ考え。開業してから今まで、預からせていただいた競走馬が、できる限り長い競走馬生活を続けられるよう、今まで模索してきたつもり。障害レースもその選択肢のうちのひとつだった」と。
続けて、「タガノエスプレッソなんか、今や種牡馬だもんね。良かったなぁ…」と、感慨深げにされていました。障害重賞の年間皆勤賞。これは決して〝珍〟記録などではありません。あれだけの長距離を走りながら障害を飛ぶだけでなく、重賞ともなれば道中のペースも速くて、毎回、脚元に蓄積される疲労も半端ではないからです。
五十嵐調教師も「馬とジョッキーが頑張ってくれたのはもちろんだけど、やはり日々の入念なケアのたまものでもあると思う。いい従業員に恵まれた証拠だよね」と言うように、〝馬を長く活躍させてあげたい〟という師の思いに、従業員の皆さんが寄り添い、毎日、毎日の努力を積み重ねてきたからの記録であることに他なりません。新潟ジャンプステークスのトワイライトタイムは、そのレースで競走能力こそ失ってしまったけれど、命に別条はなく、乗馬としての道へ進むことができました。引退を前にして「いい従業員に恵まれた」と言う五十嵐調教師の表情には、馬と人への心からの愛が詰まっている気がしました。

「僕の厩舎カラーの緑と赤はね、昔、イギリスの競馬を見に行った時に、ジョッキーが着ていた勝負服に一目ぼれして決めたんだ。今となってはあのジョッキーが誰だったのか、何ていう馬だったのかも分からない。だけどすごく目立っていてかっこ良かったから、自分が開業したらみんなでこの色のユニフォームを着て頑張ろうって思ったんだ」
そんな明るい希望とともに始まり、29年の時を過ごしてきた五十嵐厩舎。障害重賞皆勤賞という一つの記録から垣間見える、五十嵐調教師の温かい馬への思い――いうなれば〝緑と赤の魂〟を心に持った方々は、新しい厩舎に移られても、きっとそれを受け継いでいってくれるはずです。
著者:赤城 真理子