ドバイシーマクラシックで海外の強豪相手を一蹴したハーツクライ

 名馬にして、名種牡馬ハーツクライが9日、起立不能により天国へと旅立った。22歳だった。

 育成期は前脚を振るような独特のフォームながらも、調教で見せるバネは破格。ハーツクライ以前にも、多くのサンデーサイレンス産駒を手掛けていた社台ファーム代表・吉田照哉氏も「跳ね方、敏しょう性、推進力がケタ違いで、かなり自信を持って、橋口弘次郎調教師にお渡ししました」と振り返る。

 競走生活のハイライトは05年の4歳末から、06年の5歳にかけての3戦。いずれも〝魂を揺さぶる〟走りだった。無敗の3冠馬ディープインパクトを完封した05年のGⅠ有馬記念。それまでの差し脚を生かす立ち回りから一転、イメージを覆す先行策の競馬から、初のビッグタイトルを奪取した。

 翌06年3月、初の海外遠征となったGⅠドバイシーマクラシックは文字通りの圧勝。コリアーヒル、ウィジャボード、アレクサンダーゴールドランといった海外の並みいる強豪馬を相手に4馬身以上もの決定的な差をつけてフィニッシュした。

「日本の競馬レベルがとてつもないところを進んでいることを証明してくれて、関係者、ファン、メディアの方を含めて、皆さんが喜んでくれた。その姿を目の当たりにして、私自身もこれ以上ないくらいに感激しました」と吉田照哉氏。最後の直線を迎えたところで「このときばかりは橋口調教師とともに『もっと離せ、もっと離せ』と熱く叫んだことを思い出します」と懐かしんだ。

 続く7月の英GⅠキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(当時)では凱旋門賞馬ハリケーンラン、ドバイワールドカップ覇者エレクトロキューショニストに次ぐ3着。ゴール前で先頭に立ち、一瞬は押し切るかと思わせたレースぶりは、まさに負けて強し。欧州伝統のGⅠで、世界トップクラスと互角に戦ったシーンは、見守るすべての競馬ファンを熱くさせた。

「最後はぜん鳴症のために引退することになったけど、もしも、何事もなく、無事に現役を続けられていたら、まだGⅠを勝てたと思う。ハーツクライの競走生活は、半分のところで終わってしまった。本当に高い能力を持った馬でしたよ、ハーツクライは」と橋口弘次郎元調教師。

 有馬、ドバイ、キングジョージで見せた〝心の叫び〟の名にふさわしいパフォーマンス。さまざまな環境を戦い抜いた勇ましい姿を、多くの競馬ファンはずっと忘れない。

著者:東スポ競馬編集部