「下地がなけりゃどうにもならない」

横山典弘騎手(左)と永島まなみ騎手
横山典弘騎手(左)と永島まなみ騎手

 永島まなみ騎手が、さまざまなメディアで明かしている横山典弘騎手への感謝。騎手としてのアドバイスをもらえたから、それが今に生きていると──。

 そのことについて、少し前に横山騎手にお聞きしてみたことがあります。

「俺は方向性をちょっと教えただけだよ。それを騎乗に生かせたのは、あの子が努力してきちんと準備していたからだ。いくら先輩騎手からアドバイスを受けたって、いざ馬の上でやれるだけの下地がなけりゃどうにもならない。あの子はちゃんと下地をつくっていたんだ、自分の力で」

 横山騎手はそうおっしゃっていました。

 トレセンで取材をしていていつも感じることですが、まだ若く学びたい気持ちが強いジョッキーさんについては、厩舎も騎手さんも「みんなで育てていこう」という温かい空気があります。乗り方についてだけでなく、礼儀礼節や馬との関わり方、その他もいろいろ。

 私たちメディアは、そうやってみなさんが心血を注ぎ育てようとされている若き才能の邪魔をすることがないよう、絶対に注意しなければならないと思います。

 忖度をしましょうというわけではなく、無駄なストレスを与えないこと、変なエコ贔屓(ひいき)はしないこと。公平な立場から、競馬を盛り上げるために必要な〝報道〟をしていくのが新聞社の記者です。自分も肝に銘じて仕事をしていきます。

 さて、少し話はそれましたが、マスコミではなく同じ騎手という立場からすれば、レースに行けば全員がライバルです。それでも、〝馬を思う〟騎手であるからこそ、どんな局面においてもある種の助け舟を出すことがあるのだと感じたエピソードがあります。

細江純子騎手のエピソード

河内洋調教師(左)と細江純子元騎手(右)
河内洋調教師(左)と細江純子元騎手(右)

 1996年、5月12日の京都競馬場。当時、「サラブレッド系4歳以上900万下」という条件で行われていたダート1800メートルのレースに、レゾンデートルという名前の牝馬が出走していました。

 西橋豊治厩舎所属のその馬は番手から抜け出して見事に7馬身差の圧勝を決めたのですが、それは今、ホースコラボレーターとして様々なメディアで活躍されている細江純子さんが騎手として初めてつかんだ勝利でもありました。そして、レゾンデートルの担当をされていたのが、当時は持ち乗りの助手だった梅田智之調教師だったのです。

「西橋先生はすごく人情に厚い人で、当時は女性騎手をあまり乗せたがらない調教師が多かったなか、メンバー的に1番人気に推されてもおかしくなかった馬に純子を乗せて勝ったんや」と当時を振り返る梅田調教師。

 当時の勝ち馬写真は、今も梅田調教師のお部屋に大切に飾ってあるそうです。見せていただいたところ、レゾンデートルの馬上で少し泣きそうな笑顔でほほ笑む細江純子騎手と、手綱を持ちながら細江騎手を見上げ満面の笑みを見せる梅田調教師、そして真っすぐにカメラを見つめる西橋調教師が写っていました。

 細江騎手と梅田調教師は3か月間同じ時期に競馬学校にいた縁もあり、トレセンに入る前から馬や仕事、人間関係の悩みなどを相談し合う仲だったそう。梅田調教師は自分は何も相談なんかしていない、兄貴分として一方的に相談に乗ってやっていたんだとおっしゃっていましたが…それはまた別のお話として。

 そんなうれしいうれしい初勝利後、中1週で芝の特別レース・インディアトロフィーに挑戦し4着に食い込んだレゾンデートルは、再度中1週で芝1800メートルのレースへ駒を進めます。2番手で手応え良く追走していたレゾンデートルですが、3コーナーあたりから河内調教師…当時の河内騎手が乗るオレンジシェードという馬が並んできたため、細江騎手の手が早めに動き出したそう。

 見守っていた梅田助手(当時)は「あーあ。まだ脚があるのに。あれじゃ河内さんに負けるわ」とがっくりきたと言っていましたが、その後すぐに細江騎手がふっと我慢をし、その後直線に入ってからしっかり追い出して勝ったのだそうです。結果は1馬身1/4差でしたが、何が何やら分からないまま出迎えた梅田助手に、細江騎手はこう明かしたそうです。

「わたしが焦ったとき、河内さんが〝純子、早い。こんなところから追ってやるな〟って言ってくれたの」

 梅田調教師は当時のことを振り返ります。「河内さんは一流や。自分の馬のレースはしっかりやりながら、周りの馬のことも見て、間違った乗り方をしようとした純子に注意までしてくれた。俺はその時のこと、忘れないな」

ホースマンたちに受け継がれるもの

 一連のエピソードをお聞きした後、河内調教師にうかがってみると「覚えてないなあ」と笑っておられましたが、「でも、当時の俺なら言ったかもな。あの頃は周りの馬の脚色とか、どう乗られているかとかが手に取るように分かっていたし、変な乗り方をしたり、仕掛けがおかしい騎手を見たら〝馬がかわいそうやろ〟と思ったりもした。だからまあ、純子のためというより馬のために言ったのかもしれんな」と。続けて「とはいえ俺もどのレースも勝つために乗ってたんや。決して八百長をやったわけじゃないで」。

 それは、当時の河内騎手を知る方、またこのエピソードの真意をくみ取っていただけたなら、もちろんお分かりいただけると思います。同じ騎手として黙っておけなかった、というのが一番、簡潔な表現なのかもしれません。

 今の若手騎手さんたちに対し、「俺はもう騎手じゃないし、レースを見ていて何か思ったとしても、自分の厩舎の所属騎手でもない子らに偉そうにアドバイスなんてできない。俺の厩舎の管理馬に乗ってもらったときは別としてな」とおっしゃっていた河内調教師ですが、当時、河内騎手が細江騎手に対してされたこと、その時の先輩騎手としての在り方は、時代を超えても騎手さん、ホースマンたちの中に受け継がれていっているものだと思います。

 そしてあの時、細江騎手が河内騎手に言われてすぐに「待てた」のも、冒頭で横山騎手が永島騎手に対しおっしゃったように、その下地があったから。

 今週水曜(7日)、トレセンには競馬学校騎手課程を卒業した40期生が、新人騎手として各所属厩舎へ入ってきました。デビューはもう少し先ですが、きっと彼らも叱咤激励、そしてかけがえのないアドバイスを普段の生活やレースの中でもらいながら、自分だけの下地を築いていかれるんだと思います。

著者:赤城 真理子