当時の東京スポーツ紙面でも大きな扱いとなったテンポイント
当時の東京スポーツ紙面でも大きな扱いとなったテンポイント

日経新春杯2025

[GⅡ日経新春杯=2025年1月19日(日曜)中京競馬場、芝2200メートル(4歳上)]

 今週末、GⅡ日経新春杯が行われる。私のようなオールドファンにとって、このレースで思い出されるのはやはりテンポイントだろう。

 1976〜77年にかけて、同期のトウショウボーイ、グリーングラスとともにいわゆる〝TTG時代〟を形成した名馬だ。3強と呼ばれたこの3頭が一緒にレースに出たのは全部で3回。全てのレースで上位3着までを独占した。初めて一堂に会した76年の菊花賞をグリーングラスが勝つと、翌77年の宝塚記念はトウショウボーイ、そして、最後に顔を揃えた同年の有馬記念ではテンポイントと、それぞれ1勝ずつを挙げてみせた。

 この有馬記念制覇の翌年、海外への遠征が決定していたのがテンポイントだった。そこで関係者は関西馬である同馬に、国内最後のレースとして、関西のファンにお披露目しようと考えた。結果、壮行レースとして選ばれたのが78年1月の京都競馬場で行われた日経新春杯だった。

 ところが、ここで悲劇が起こる。粉雪が舞った当日、66・5キロを背負ったテンポイントは3コーナー過ぎに故障を発症。通常ならそのまま楽にさせてあげた方がいいほどの重度の骨折だった。

 しかし、ファンから「生かしてあげて」という電話が殺到したそうで、結果、33人の獣医師による大手術を決行。手術はひとまず成功し、その後、新聞は連日、テンポイントの容態を伝えた。

 すると、一時は回復気配にあるとも伝えられたが、最終的には右後肢に蹄葉炎を発症。事故から42日後の3月5日の朝、ついに力尽きてしまった。

 主戦騎手で最後の1戦でも鞍上にいた鹿戸明騎手(後に調教師、引退)に、私は後に話を伺ったことがある。

「その前の有馬記念が、トウショウボーイの引退の1戦でした。ライバルと言われ続けてきたけど、対戦成績的には分が悪かったので、一矢報いる最後のチャンスということで、何が何でも負けられないという気持ちで臨みました。そして、トウショウボーイに勝てたし、グリーングラスの追撃も抑えることができました。これで、最高の形で海外へ行けると思っていた矢先の大事故で、後にも先にも〝あの瞬間〟ほど『ウソであってほしい』と願ったことはありません」

 それから半世紀近くが経過したわけだが「皆、無事で」という願いは昔も現在も変わらない。今年もどうか悲劇に見舞われないように、願うばかりである。(平松さとし)

著者:東スポ競馬編集部