次代のエースを担う松山弘平騎手が登場。競馬とは縁もゆかりもない家庭から騎手を目指した理由とは。デビュー後からアルアインでGⅠを勝利するまでの苦悩。そして、デアリングタクトとともに達成した牝馬3冠の軌跡…騎手としての成長を描く長編物語。(この連載は21年6月22日〜10月1日東京スポーツに掲載されたものです)

ジョッキーへの道を勧めてきた父

 現在、最も勢いのあるジョッキーの一人である松山弘平。彼が生まれたのは1990年3月1日。この春に31歳になったばかりだ。出身地は兵庫県の神戸市。父は弘二、母は信子。競馬とは縁もゆかりもない家庭で、2つ年上の姉とともに育てられた。

「幼少時は少林寺拳法をやっていました。幼稚園の時に始めて、競馬学校に入る前まで。10年以上続けました」

 幼少時を振り返り、松山はそう口を開くと、さらに続けた。

「それと水泳をやった時期もありました」

 体を動かすこと自体は嫌いではなかったことが分かる。しかし、その半面、「勉強はどうにも苦手でした」と苦笑しつつ、語った。

「勉強に関しては苦手というか、正直な話、嫌いでした」

 そんな松山にその後の人生を変える運命の日が訪れる。競馬と触れ合う機会は“最も身近なところ”から、ふいにやってきた。

「僕が小学4年生くらいの時に、父に連れられてたまたま阪神競馬場へ行く機会がありました」

 日本の場合、普通に暮らしていて馬とコンタクトを持つチャンスはなかなかない。そんな中、父親がたまたま競馬場へ行った際に連れていってもらったため、比較的若いうちに松山は競馬を知った。

初めて訪れた競馬場で…

「初めて訪れた競馬場で、騎手に対してなんとなくですけど“すごいなぁ…”と思ったのは覚えています」

 すると、そんな息子の気持ちに気付いたのか、父・弘二がジョッキーへの道を勧めてきた。息子はその理由を次のように推測する。

「父は僕が勉強嫌いであるのを分かっていました。そして、それ以上に何といっても体が小さかったので、勧めてきたのだと思います」

 幼少時、背の順で整列する時はいつも先頭。クラス替えをしてもそれは変わらなかった。

「どのクラスになっても身長が一番低い生徒だったので、それも騎手を勧められた理由のひとつだったと思います」

 父から提案された松山は次のように思ったと続ける。

「自分としても動物が好きだったし、ジョッキーに憧れる気持ちがあったので“そういう手もあるのかな…”と考えるようになりました」

 当時はまだ馬に触れたことすらなかったが、競馬はすでに見ていた。

 それが1990年代から2000年にかかるころ。馬で言うとスペシャルウィークやサイレンススズカ、グラスワンダーらが活躍していたころだった。

「スーパーホースがたくさんいる時代で、とにかく華やかさを感じました。見ていて楽しかったので、騎手を目指すことには何も抵抗はありませんでした」(文中敬称略・ライター平松さとし)

競馬を知った1990年代から2000年にかかるころはスーパーホースが多数出現した。写真はスペシャルウィークの99年天皇賞・春優勝時

☆まつやま・こうへい 1990年3月1日、兵庫県生まれ。2009年騎手免許取得。3月の小倉開催で初騎乗初勝利を収める。20年にはデアリングタクトで牝馬3冠を達成。22年葵ステークスでJRA重賞30勝に到達。また、22年1月にJRA通算900勝をクリアした。身長167センチ、体重51キロ。血液型=B。

著者:東スポ競馬編集部