生田2丁目に本社を構える水産加工食品会社「波座(なぐら)物産」。2011年、朝田慶太社長は専務として、イカの塩辛などを製造する気仙沼工場(宮城県気仙沼市)の運営責任を担う立場だった。当時は生田と気仙沼を行き来する日々を過ごしていた。

3月11日は出張で新潟県にいた。地震直後、テレビで流れる大津波の映像。海から約500メートルの気仙沼工場はどうなっているのか――。連絡はつかず、20人以上の従業員の顔が浮かび、一睡もすることができなかった。新幹線が止まっていたため、翌日に飛行機で本社へ戻った。工場長を含め、全員の安否が確認されたのは約1週間後。「本当に、ほっとした」

だが、工場は高さ7〜8メートルの大津波に襲われ、全壊。看板だけが残り、周りはがれきの山だった。取引先などから本社に食料や衣類などの支援物資が集まってきた。「多摩区で何もしないでいることはできなかった」。3月下旬、トラックに物資を積み、気仙沼に向かった。通行止めの場所も多く、津波の被害を受けなかった工場長の自宅に着くまで18時間かかった。

そこには従業員たちもいた。自宅を流された人や親戚を失った人もいた。だが、つらい決断をしなくてはいけなかった。「現状、工場を稼働させるのは難しい」。従業員を解雇し、失業手当をもらうことを促した。同時に伝えた。「気仙沼で必ず、工場を再建させる。そのとき、戻ってきてほしい」

工場一帯は建築制限区域に指定され、同じ場所での再建は断念。土地探しに奔走し、1キロ程度内陸の土地を購入した。12年11月1日、工場は再建。従業員は全員が戻ってきた。

「なんとかなる」前向きに

「塩辛は発酵食品で、同じ作り方でも風土によって味に違いが出る」と朝田社長。気仙沼の地、職人の感覚や感性が気仙沼の味をつくり出す。被災後もイカの仕入れ値高騰、コロナや電気代の値上げと、厳しい状況は今も続く。だが、「最初は何もかも失ったという思いだった。だけど、辛いときを経験したからこそ、『なんとかなる』と前向きに考えられるようになった」と胸中を語る。

今後は塩辛をブランド化し、ネット販売に力を入れていく。「ファンづくりがしたい。塩辛を通じて、気仙沼と全国のお客さまをつなぎたいんです」