子どもの頃、『ドラえもん』の映画を見ながら、こう思ったことはないだろうか?

「ジャイアンが違う」

「なんか頼もしい……」

これが普段は理不尽を重ねる、あのジャイアンなのかと。のび太やスネ夫たちに対して横暴を繰り返し、不定期開催のリサイタルで忌み嫌われていたあの男が、映画になると、なぜこうもカッコよく変貌を遂げてしまうのか。

映画というものは、そもそもクライマックスとエンディングが用意されている。ドラえもん、のび太をはじめキャスト全員がひとつの目標に邁進するとき、友情はひとつに束ねられ固い信頼で結ばれる。日常のたわいもないけんかよりも、もっと大きな敵が現れたとき、「敵の敵は味方」とばかりに心が通い始める。人間関係はこんなひとつの出来事で、根底から刷新されてしまうことがある。

この例えから学ぶことは実に多い。「目標が人間関係を刷新する」ということだ。

ひとは他人に対してレッテルを張りたがる生き物

人間関係――特に特定の他人に対するイメージは、定着するとなかなか変えられない。嫌な上司を、ある日途端に好きになることはまずないだろう。接点が少なければそのまま「嫌な上司」のまま固定されてしまうに違いない。恐妻家が亭主関白に一変することもなければ、気の障る向かいのイヤミな奥様が突然、人格者になることもない。私たちは他人のイメージを固定したがり、それを保持しようとする傾向がある。自分を傷つけかねない相手からは距離をとり、つねに身を守っている。

だから人間関係は難しい。いや正確にいうと、「人間関係を変えていく」ことは難しい。

人間関係が試練になるときとは、主に職場で「嫌なヤツ」と協働しなくてはならなくなったときなど、逃げられない信頼関係を押し付けられたときだろう。なにも接点がなければ「嫌なヤツ」のまま、自分のなかで固定させておけばいいのだが、仕事とあってはそうはいかない。