息の長い盛り上がりを見せている「城」ブーム。最近では、寺社の「御朱印」と同じく、「御城印」が発行され、人気となっている。城と一口に言っても、古代から近代まで非常に幅広く、奥が深い。そこで今回は戦国三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)のそれぞれの築城について、新著『人生を豊かにしたい人のための日本の城』を上梓した歴史学者の小和田哲男氏が解説します(全2回)。

「天守閣」と呼ぶようになったのは近代から

織豊期(安土桃山時代ともいう)から登場してくるのが天守である。ふつう天守閣といいならわしているが、織豊期および近世の史料には「天守閣」とは出てこない。「天守」ないし「天主」なのである。天守閣というようになったのは近代に入ってからなので、ここでは天守と表現しておきたい。

永禄10年(1567)年8月、織田信長が斎藤龍興を逐ったあと、自分の居城とした岐阜城に「四階御殿」を建てさせていたことは、ルイス・フロイスの『日本史』に書かれており、それが「天主」のはじまりと考える建築史家は多い。

たしかに、3代将軍足利義満が建立した3層の金閣に対し、足利将軍家に代わって天下に号令しようと考えていた信長が、それを凌駕する4層の建物を城の中に建てさせた可能性はあるのではないか。

この岐阜城の「四階御殿」、すなわち天主が、さらに階を足して安土城の天主につながったとする見方もある。 丹念に文献史料を追うと、年代的に、岐阜城と安土城の間にいくつか天主がある城の存在が確認できる。

足利義昭のために信長が築いた二条城がその1つで、天主が存在したことが『元亀二年記』および『兼見卿記』の記述からうかがわれる。