テレビドラマや映画などでよく描かれる江戸時代の人々。日々の暮らしは現代とは大きく異なっていたはずですが、「お金の面」ではどうだったのか――。日本近世史学者の大石学氏が監修した『江戸のお勘定』より一部抜粋・再構成してお届けします。

同書では、比較的物価が安定していたとされている文化・文政年間(1804〜1830)を基準とし、金・銀・銭の換算は、幕府の換算基準値の1両=銀60匁=銭4000文としています。また、当時はそば1杯が16文だったことから、現代の価値に換算して1文を30円、そこから金1両を12万円と計算しています。

男性が極端に多かった江戸の町

天正18年(1590)8月1日、豊臣秀吉の小田原攻めの戦後処理の一環として、徳川家康は江戸に封じられ入った。従来、江戸は寒村であったとされてきたが、今では否定されている。当時の江戸は利根川をはじめとする水運の拠点として整備され、人々で賑わっていた。

家康は江戸入り後、建設資材や都市生活を維持するための物資を運ぶために掘割を開削。慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで勝利し、慶長8年に征夷大将軍になると、江戸の都市整備に本格的に着手した。大名たちがこぞって工事を行う天下普請を命じ、日比谷入り江を埋め立てて、武家地を造り出し、埋め立て地の先には町人地が造られた。

この武家地に大名たちが住み、その周辺には旗本や御家人などの幕臣が配された。こうした武士の生活を支えるために、必要な物資を調達し販売する商人や職人を、旧地の三河(愛知県)から江戸に呼び寄せた。

三代将軍家光の代になり、大名が1年交代で江戸と国元を行き来する参勤交代の制度が整えられると、大名の家族は江戸に留め置かれたが、大名に従う家臣たちの大半は妻子を国元において江戸に出てきた。また、江戸にある大店の奉公人たちは男性ばかりというケースも多かった。

つまり、江戸の町は男性が極端に多い都市であった。そのため、単身男性でも生活できるよう、社会が整備された。たとえば、一膳めし屋などの外食産業が盛んになり、食べ物に困ることはなくなった。大店では、炊事や洗濯に専門の人が雇われており、武家屋敷でも、家事をする人を雇うこともあった。