5月1日に即位した新天皇は、オックスフォード留学時代に、イギリスのテムズ川の水上交通を研究テーマに選んでいる。なぜそのような特殊な研究テーマを選んだのだろうか。

前編「令和日本は『海』と『陸』のどちらを志向するのか」につづき、内田樹氏の著書『街場の天皇論』から<特別篇 海民と天皇>を一部抜粋。「無縁」をキーワードに、新天皇の原点を探る。

無縁の場、無縁の人

日本列島住民の海民性ということについて、前編「令和日本は『海』と『陸』のどちらを志向するのか」で書いた。海民と天皇の結びつきについては、まだ言葉が足りない。ここで「無縁」という補助線を引くことによって海民と天皇の間のつながりを際立たせてみたいと思う。

古代中世以来、列島の各地に、「無縁の場」が存在した。無縁とは文字どおり「縁が切れる」ことである。ここに駆け込めば、世俗の有縁(夫婦関係、主従関係、貸借関係、さまざま賦課など)を断ち切って、人は自由になることができた。それは飢える自由、行倒れになる自由と背中合わせではあったが、それでも自由であることに変わりはない。無縁の場とされたのは寺社、山林、市庭、道路、宿、とりわけ河原であった。

「『宿河原』とよくいわれるように、『宿』はしばしば河原の近辺に所在している。これは、交通とも無関係ではなく、さきにふれた淀の河原のように、そこに市の立つ場合もあったのであるが、なにより、河原が死体・髑髏の集積地であり、葬地だったからにほかならない。(中略)河原は、まさしく賽の河原であり、『墓所』、葬送の地として、無縁非人と不可分の『無縁』の地であった。それ故にここは、古くは濫僧、屠者、中世に入ってからは斃牛の処置をする『河原人』『餌取』『穢多童子』、さらには『ぼろぼろ』など、『無縁』の人々の活動する舞台となったのである」(網野善彦、『無縁・公界・楽』、平凡社、1978年、154─155頁)