今年6月から開始した連載「21世紀のシンクタンク・パワー」の特別編として、去る9月に東京大学本郷キャンパスで開かれた『日本の「代案」を探求する――政策コミュニティーとパブリック・キャリア』と題するシンポジウムの議論を3回にわたって再構成した。

特別編3回目は船橋洋一・アジア・パシフィック・イニシアティブ(API)理事長がモデレーターとなり、須賀千鶴・世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター長、藤沢烈・RCF代表理事、鈴木寛・東京大学公共政策大学院教授、小林史明・自由民主党青年局長代理/行政改革推進本部事務局長 衆院議員(肩書きは取材当時、9月24日付で自由民主党青年局長)を招いて展開したパネルディスカッションの後編をお届けする。

【2019年10月20日17時00分追記】初出時、小林史明氏の肩書きが取材当時のみの表記だったため、上記のように修正いたしました。

前編:「課題山積の日本でシンクタンクが育たない原因」

規格外の官僚と政治家の熱意

船橋洋一(以下、船橋):それでは須賀さん、お願いいたします。

須賀千鶴(以下、須賀):私は経産省から出向し、世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター長をしている典型的な役人です。役人人生がどういうものかを知っていただくために、私が携わってきた仕事をご紹介します。

私はもともと経済外交に興味があったので、最初の仕事はイラクとアフガニスタンの復興支援を手がけ、小泉改革の時代に政府系機関の民営化を検討するスペシャルチームに入りました。

役所2年目の後半からは資源エネルギー庁で、気候変動交渉やポスト京都の議定書の交渉をするチームに入り、そこでG8サミットを1つのツールにして、国益も達成しながらグローバルに意味のある動きを仕掛ける枠組みを作っていくことを学びました。この時代が、パブリックなことに関わる仕事の面白さに魅了されるきっかけになりました。

その後、資源外交でサウジアラビアなどの原産国に行って、商社の方と油田を売ってもらう交渉をしていた時代がありました。その後2年間はアメリカのペンシルベニア大学に留学し、戻ってからは最初に、チームリーダーとして国際課税改正に取り組みました。そして、2011年からはクールジャパン戦略の立ち上げを担当しました。