はじめはあまり乗り気でなかった父親の健二さん(仮名)も、そんな知美さんの意見に徐々に引き寄せられていった。知美さんと同じく埼玉県出身の健二さんは、実は慶應大学系の中学の出身で、中学受験の経験者。受験をすると決めてからはとても協力的だった。

「受験をするなら伝統校がいいだろう」というのが健二さんの意見。伝統校の場合、OBとの繋がりも厚いため、大人になってからもなにかとよかったというのが社会の第一線で活躍する父親としての意見だった。

幸い、住まいは埼玉県の中でも東京に比較的出やすい路線上にあったため、東京の学校も通学圏内に入る。埼玉と東京という2つのエリアの受験が可能だった。

最下位クラスからのスタート

だが通塾生活は生ぬるいものではない。4年生のクラスが始まれば通塾回数も増えだし、帰りも遅くなりはじめる。

柚月くんの場合、徒歩圏内に塾はなく、電車で通塾する必要があった。そのためしばらくは知美さんが塾まで車で送迎。慣れて以降は、最寄駅で柚月くんを見送った。

6年生クラスになると帰宅時間は午後10時を回るように。授業は夕方から始まるため、夕食を食べる時間はほぼない。授業と授業の間、7時前後にある休憩時間に母親が作ってくれたお弁当、いわゆる”塾弁”をかきこむ日々。

もともと勉強が嫌いなほうではない柚月くん。もちろん、受験親子によくあるような宿題をやったやらないの親子喧嘩がまったくなかったわけではないが、最終的にはいつも柚月くんのほうから「受験したい! やらせてください!」と申し出るのが常だった。受験をすると決めたのは母親とはいえ、柚月くんのほうにも自分の力を試してみたいという気持ちもあったのだろう。

地元の小学校ではリーダー的な存在として認識されていた柚月くん。塾に入るまで、公文で国語と算数をやっていたおかげもあったのか、学校の「カラーテスト」と呼ばれる単元ごとに受けるテストでは、どの教科もつねに90点以上を取っていた。

だが、入塾テストの出来はあまりよくなく、一番下のクラスでのスタート。しかし、柚月くんはコツコツと塾に通い、地道に成績とクラスを上げていった。自分よりもできる子たちが存在する塾に、秘めた闘志を燃やし始めたのかもしれない。

よく喋るタイプではないものの、学校の友人との関係は良好で、学校から帰宅後、塾に行くまでの空き時間には友達と家の前でボール遊びをすることもあった。幼少期から始めたスイミングも、6年生の12月までしっかりと続けていたという。