内外で議論の最先端となっている文献を基点として、これから世界で起きること、すでに起こっているにもかかわらず日本ではまだ認識が薄いテーマを、気鋭の論客が読み解き、議論する「令和の新教養」シリーズ。

今回は、中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)の気鋭の論客4名が、コロナ後の社会・経済・国家をテーマに討議した座談会の第1回をお届けする。

専門家会議事後批判の不当性

中野剛志(以下、中野):緊急事態宣言は5月に解除されたものの、今は第2波が来ているのではないかという状況で、東京でも大阪でも感染者が増えています。

佐藤健志(以下、佐藤):4月から5月にかけて、感染が収束しそうな気配があった。「収束」と「終息」は違うのですが、多くの人が「これで終わった」と安心しました。政府まで、そう思っていた節があります。しかし実際は、むしろこれからが本番ではないのか。改めて現実と向き合わなくてはいけませんね。

中野:緊急事態宣言が終わって専門家会議が解散したとき、「専門家会議の議論が正しかったのか、接触の8割削減が本当に必要だったのか、事後検証する必要がある」という声が上がりました。自称専門家がぞろぞろ出てきて、後出しジャンケンの安心感丸出しで、勝手放題言っていた。しかし皆、根本的なところで的を外していました。

柴山桂太(以下、柴山):どのあたりが外れていたんですか。

中野:今回のコロナ対策の最も重要なポイント、すなわち専門家会議は何と戦っていたのか、それは、新型コロナウイルスというよりは、「不確実性」だったのです。つまり、「よくわからない脅威が来たときにどう対処するのか」という問題が問われていた。

中国で新型コロナウイルスが発生したという情報が伝わってきたとき、「ちょっとした風邪だ」と言う人もいれば、「いや、深刻な疫病だ」と言う人もいて、実態がよくわからなかった。専門家会議が直面した事態とは、すでに正体がわかっている相手ではなく、正体がよくわからないし、データも十分ではない未知の感染症による危機だった。そういう認識がまず必要です。