今回の里帰りプロジェクトの対象になっている車両(箱根登山鉄道202号車=長崎電気軌道151号車)は、1925年に王子電気軌道(後の都電荒川線)が新造した、齢95歳の長寿車両だ。1950年に箱根登山鉄道に移籍し、軌道線廃止後、ほかの4両とともに計5両(201〜205号車)が長崎電気軌道に移籍したが、現存するのは202号車1両のみとなっている。

長崎時代の元202号車。小田原時代は木造車だったが、半鋼製車に改造したうえで長崎に移籍した(提供:小田原ゆかりの路面電車保存会)

里帰りプロジェクト立ち上げの経緯について、保存会副会長の平井丈夫氏は次のように話す。

「202号車が長崎にあるのは以前から知っていて、3年ほど前に(長崎電気軌道の)浦上車庫を訪問し、とてもきれいに手入れされているのを見て感激した。そのときは、いつか小田原に里帰りさせられないかと漠然と考えていたが、昨年、新聞記事で202号車が引退するのを知り、引退後の処置について長崎電気軌道へ問い合わせると、廃車・解体するとのことだった」

そこで、平井氏が譲渡の可能性について尋ねると、「古い車両なので、アスベスト(石綿)が使われている可能性があり、もし、使われていると移動は難しい」との回答だった。

その後、長崎でアスベスト調査が行われ、およそ1年が経過した今年3月初めに「アスベストは使われておらず、譲渡希望者は3月末までに、その意思表示をしてほしい」との連絡が来たという。

「譲渡の可能性は低いだろうと思っていたので、受け入れ場所など何も準備していなかった。しかも、新型コロナの影響で、人を集めて相談することもままならなかった」と、平井氏は当時を振り返る。

保存場所をどうするか

そんな状況ではあったが、近隣の鉄道愛好家を中心に声がけし、集まったメンバー10名で里帰りプロジェクトが立ち上がった。

プロジェクト立ち上げ後、最初の大きな課題は保存場所の確保だった。受け入れの意思表示はしたものの、保存場所が決まらなければ、「難民」になってしまう。

まずは、小田原市に相談を持ちかけたが、「今回の件は時間的な制約があり、予算確保を含め、交渉の土台に乗せるのが難しかった」(平井氏)という。また、場所さえ確保できれば、どこでもいいというわけではなく、できればかつての路線沿いで、ある程度の人通りがあり、人の目に触れる場所でなければ保存する意味がなく、保存場所の選定は難航した。