個人はせっせと自分の関心事を検索エンジンに教えている。個人のコミュニケーションツールもみんなデジタルプラットフォーマーが提供している。急にグーグルやLINEが使えなくなって困るのは個人である。

こうして、国家間の話題は、企業、個人のレベルへと影響していくことになる。国家対デジタルプラットフォーマーの攻防について、個人は自分には関係のないものとは言えないのである。

デジタルプラットフォーマーに言うことを聞かせられるのは法規制を使える政府である。加えて、デジタルプラットフォーマーが上場企業であれば、少しは株主である機関投資家の言うことも聞くだろう。もしもデジタルプラットフォーマーがフェイクニュースを垂れ流しにするような事態になれば、誰かが注意しなければならない。

利便性と濫用リスクというジレンマ

デジタルテクノロジーそのものは政治的に中立である。例えば国中に監視カメラを配置して、顔認証で人々の行動を管理する際に、テクノロジーは設計されたとおりに動き、その管理者に忠実である。管理者が民主主義的に選ばれたリーダーでも権威主義的な独裁者でも、テクノロジーはリーダーに忠実に仕事を行う。

例えばコロナウイルスの感染者追跡アプリもテクノロジーによって、感染予防が行われて人の命を救うこともあれば、同じテクノロジーを使って人々をデジタルの檻に閉じ込めることも可能である。そうしたことが行われないように、個人は利便性を感じつつも政府がテクノロジーを濫用することに注意しなければならない。

国民はテクノロジーの上位に国民主権や法の支配といった普段は忘れているような原理が置かれていることを確認しなければならない。例えば日本で「デジタル庁」が進めていくであろう行政手続きのオンライン化でも、行政と個人が対等に透明性をもって、「(監視されているような)気持ち悪くない」仕組みをつくる必要がある。

デジタルテクノロジーをめぐって各国政府、デジタルプラットフォーマー企業、機関投資家、企業、個人がせめぎ合い、いまだ終わらないゲームをしている。ビジネスパーソンはその各プレイヤーの動きを追っていくべきである。その過程で新しいビジネスがまだまだ生まれるはずだ。

中高生に人気の動画アプリが安全保障問題になるくらいなので、どんなことでも起こりうる。あらゆる分野にデジタルテクノロジーがにじみ、浸透する2020年、人間が幸福になる手段としてのテクノロジーの意味を今一度、問い直したい。

著者:塩野 誠