――その感染症の専門家チームは、帰ってしまったんですよね。

近藤:はい。3日間船内にいて、14日に活動休止して、撤退しました。

――なぜですか。影響はなかったんですか。

近藤久禎(こんどう・ひさよし)/1970年生まれ。日本医科大学大学院医学研究科卒業、放射線医学総合研究所研究員、厚生労働省技官、日本医科大学付属病院高度救命救急センターを経て、2010年から厚労省DMAT事務局次長に就任(筆者撮影)

近藤:理由はわかりません。でも、まあ、新規発熱者が1桁となったことでもわかるように、平常な状態に戻りつつあったから、そんなに腹は立ちませんでしたけどね。身の危険を感じて撤退、というのならまだわかるんですが、だったらなんで、いちばん危なかった12日とか13日にいて、落ち着いてきた14日になって帰るのかなって思いましたよ(笑)。こういうときに、体を張らないんだねって。

阿南:本当に真相はわからない。想像するに、指揮する人が最前線にいてはダメだとか、そういう判断だったのか。でも、指揮官が仮に後ろに下がったら、いったい誰が前に出るの? 誰もいなくなったら、意味ないじゃん、っていう話ですよ。

神戸大学の岩田健太郎教授が広げた波紋

――そうした感染症の専門家に対する不信感が募っていたところに神戸大学の岩田健太郎教授が船に乗り込んできた。岩田教授は船内を2時間ほど見て回り、「悲惨な状態。心底怖いと思った」などと船内の感染対策の甘さを指摘する動画をネット上で公開(のちに削除)し、さらに海外メディアの前で会見を開きました。

近藤:厚労省の関係者から「彼をDMATとして乗せてもいいか」と電話があったから、断ったんです。彼はDMATの研修も受けてないし、第一、この現場はうちの精鋭を投入している、非常に困難な現場だから。国が感染症の専門家を乗せたいというなら止めはしないけど、さっきも言ったように、落ち着き始めた時期でした。現場としては、新たに感染症の専門家を欲しいとは思っていませんでした。

阿南:ただ、彼がネットで煽情的に批判したせいで、DMATの派遣要請が病院から拒否されるケースが相次いだのは事実です。派遣元の病院長が「行くな」と言うんです。船内の乗客を多数下船させる大事な時期なのに、その要員がいなくなった。

藤田医科大に100人以上の患者を搬送するときなど、活動が終わって愛知や大阪に帰る隊員を呼びとめ、「一緒に行ってくれ」って頼み込みました。一方で、病院長の意向に従わずに活動を続けてくれた仲間もいて、あれはうれしかったですね。

近藤:専門家として目についたことはあったにせよ、現場の支援に行ったあと、「あそこはこんなにひどかった」とか「これはオレが立て直してやったんだ」とか、DMATであれば外に向かっては言いません。DP号のスタッフを支えるのが目的なのだから。