コロナ禍の対応で迷走する日本。約40年にわたり読み継がれている名著『失敗の本質』で旧日本軍の失敗を分析した戸部良一氏と、独立系シンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ」(API)を率い、福島原発事故と新型コロナウイルス感染症対策の民間調査を実施した船橋洋一氏が、日本の課題を4回にわたって話し合った短期集中連載。第3回をお届けする。

第1回:日本のリーダー「危機を語らず隠す」が招く大迷走(6月1日配信)
第2回:総力戦できず楽観的な日本がコロナで迷走の必然(6月3日配信)

本部と現場の違い

船橋 洋一(以下、船橋):今回は危機の際の「リーダーシップ論」に少し踏み込んでお伺いしたいと思います。『フクシマ戦記』と民間事故調の報告書(『福島原発事故10年検証委員会・民間事故調最終報告書』)をお読みいただいたということで伺いますが、あの時の政府、首相官邸のリーダーシップについて、どのようにご覧になられましたか。

戸部 良一(以下、戸部):第1回でも少し触れましたが、福島原発事故の際の民主党政権における菅直人首相のリーダーシップのあり方について、船橋さんは強く批判されながら、「彼がいたからもったんだ」と指摘されたことは意外でした。

それについては、後に詳しく伺いたいと思いますが、先に危機の際のリーダーシップについて1つ申し上げると、本部と現場のリーダーシップは若干性質が違うので、検証する場合には、そこは切り分けて考えたほうがよいと思います。フクシマの場合は当時の菅直人首相を中心とする官邸と、事故現場を指揮した東京電力の吉田昌郎所長らの指導力のあり方は別に考えるべきです。

船橋:どのように違うのでしょうか。

戸部:1つは場の違いです。吉田さんら現場の指導者は、事故を起こしている原発という場にいて、それをどのように収めるのか、しかも、同時に、部下の犠牲を最小限に留めるという課題にも直面していたと思います。

一方、当時の菅直人首相は国の指導者ですから、国家の存立そのものを維持していかなくてはならないし、国民の安全も確保しなければならない。そのためには、一部の犠牲もやむなしという判断もしなくてはならないという場にいました。

もちろん、現場でも犠牲を判断しなければならない局面はあったかもしれませんが、犠牲と言うときの規模の感覚は、現場の技術者と東京にいる政治家では違うでしょうし、犠牲を強いる相手の顔が見えているか、見えていないかでも異なります。現場の指導者は、犠牲になるかもしれない部下をよく知っているわけです。

それは軍隊の軍司令官と現場の中隊長の違いに近いのだと思います。軍司令官は、現場を見すぎないほうが的確に判断できます。犠牲を考え、死んでしまった人たちを見てしまうと、感情が制御できなくなって正しい判断ができなくなるということはよく言われることです。本部と現場のリーダーシップを分けて考えなければならないというときの1つの問題は、そのようなところにあると思います。