ところが、日本が台湾の安全保障に関与することを明らかにした時期は、中国が国際社会に復帰する時期とも重なっていた。1971年の米中電撃接近の後、国際連合でも安保理常任理事国の議席が、台湾の中華民国政府から中国政府に入れ替わった。その前後から西側諸国も続々と中国との外交関係を樹立し始めていた。

中国政府が、西側諸国との国交樹立に際して求めたのは、台湾の中華民国政府との外交断絶と、台湾が中国の領土の一部であることを認めるという「一つの中国」の原則であった。そのため、日本政府も中国との国交正常化に踏み切る際に、安保条約の「台湾条項」をいかに扱うかが大きな問題になった。

アメリカと中国との狭間に立たされた日本政府の方針は、「台湾条項」をめぐる法律的な効力を維持したまま、中国側との間で台湾問題を政治的に処理するというものであった。日中国交正常化交渉がはじまる直前、日本政府はひそかにアメリカ政府に対して、もし台湾有事のときに在日アメリカ軍の出撃を拒否するように中国側が申し入れてきても、これに応じることはないと伝えている。

その一方で、中国側に対しては、日中国交正常化に際しての共同声明(1972年9月)で、「台湾は中国の領土の不可分の一部である」とする中国側の主張に、日本側が「理解」と「尊重」を示し、さらに台湾の中華民国(中国)への返還に触れた「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」(日中共同声明第三項)という政治的な歩み寄りを示した。

安保条約を適用する可能性を留保

中台対立の平和的解決を志向しつつも、台湾有事の際には安保条約を適用する可能性を留保した日本政府の立場は、現在に至るまでの政府見解の基礎となった。

もっとも、日本政府は、こうした姿勢を当初から戦略的にとっていたわけではない。日中国交正常化の前後、外務省でも意見は割れていた。「台湾条項」に手を加えることは日米安保体制の弱体化につながるという声がある一方、日米安保体制と日中関係の矛盾を解消するためには、同条項の削除や修正をアメリカ側に求めるべきだという声もあった。米中接近によってアメリカの台湾へのコミットメントが不透明になる中で、日本側としては明確な方針が立てられるはずもなかったのである。