林氏と河村氏はともに政治家の家系で、林家の地元は下関市、河村家は萩市と近接している。両氏の因縁は、河村氏が初めて衆院当選を果たした1990年にさかのぼる。河村氏が出馬した旧山口1区(定数4)は安倍晋三前首相の父親の晋太郎元外相、林氏の父親の義郎元蔵相が現職で、河村氏を含めた自民3氏がしのぎを削っていた。

そこで当選した河村氏は、最後の中選挙区選挙となった1993年も晋太郎氏の後を継いだ安倍前首相、林義郎氏とともに連続当選。小選挙比例代表並立制導入で旧山口1区が山口3区と4区に分けられた次の1996年は、3区は河村氏、4区は安倍氏が公認候補となり、林義郎氏は比例中国ブロックへの転出を余儀なくされた。

くら替え出馬は「最後のチャンス」に

父・義郎氏が比例へ転出したことを受け、芳正氏は1995年の参院山口選挙区に自民公認で出馬して初当選。以来5回連続当選で現在に至っている。ただ、林家は高祖父から4代にわたる国会議員一家で、3人の先代と同様に衆院での当選を狙う林氏にとって、河村氏は「長年の標的」(地元関係者)となっていた。

林氏は2012年の衆院選以来、何度も山口3区からのくら替え出馬を模索してきたが、河村氏の反発や党内事情で断念してきた。ただ、今回は「最後のチャンス」と同区からの出馬に踏み切った。

義郎氏は旧宮沢派(現岸田派)の支援で総裁選に立候補したこともある。芳正氏も政界入りしたときから将来の総理・総裁候補と目されていた。2012年9月の総裁選に参院議員として立候補したが、当選した安倍前首相ら5人の候補の中では最下位に終わった。

ただ、林氏は参院議員としては極めて異例の5度の入閣を果たし、文科、農水、防衛などの主要閣僚を歴任している。党内有数の政策通で、歴代首相が「困ったときは林氏」と重用したからだ。

形式的には参院議員でも首相になれるが、「解散権を持つ首相は衆院議員でなければだめ」というのが政界の常識。林氏の今回のくら替え出馬はまさに首相になるための動きだ。

1議席を争う小選挙区で、自民党系の2人の候補がぶつかり合うケースは少なくない。その場合、公認権を持つ党執行部は、①現職優先などの原則を踏まえ、1人を公認する、②双方を公認せず、勝ったほうを事後公認とする、③1人を比例代表に回す、のいずれかを選択することが多かった。