名古屋市の河村たかし市長が東京五輪ソフトボール日本代表・後藤希友選手の金メダルを噛んだことで世間から批判を浴びた。

奇抜な行動で注目されがちな河村市長だが、2009年の就任直後から、SLを名古屋で走らせたいと宣言し、その意気込みは変わっていない。2013年には、名古屋駅と金城ふ頭駅とを結ぶ西名古屋港線(あおなみ線)でSLの運行を実現。これは単発イベントのため、SLはJR西日本から借りる形で調達した。

定期的なSL運行を目指す河村市長は、名古屋市科学館に屋外展示されていたSLを修理することを検討。今年8月には、圧縮空気で動輪を動かせる形にして展示すると表明した。このSLは、ドイツ製の「B6」という機関車。B6はイギリスやアメリカなどでも製造されたものの、ドイツ製は国内で同科学館にしか保存されていない。

このB6は過去に石原産業が所有しており、三重県四日市の工場へ物資を輸送するために使われていた。四日市には石原産業だけではなく、多くの化学メーカーが工場を置いているが、工業都市として発展を遂げる原動力になっているのが良港・四日市港と鉄道の存在だった。

鉄道ルートから外れる危機感

現在は東海道本線が名古屋から岐阜・大垣・草津を通り抜けていくので誤解されやすいが、明治以前まで四日市は東海道筋の宿場町としてにぎわっていた。

明治維新後も東海道の宿場町として発展を続けるが、それを大きく揺るがす事態が鉄道の開通だった。大阪・京都から延びてきた線路は名古屋を経由して東へと延びる。東海道本線のルートから外れた四日市が衰退することは誰の目にも明らかだった。

その危機感は、地元も早い段階で察知していた。廻船問屋として財を築いた四日市の豪商・稲葉三右衛門は、日本初の鉄道となる新橋(後の汐留)―横浜(現・桜木町)間が開通した直後の1873年から、私財を投じて四日市港の修築に着手した。

稲葉が四日市港の修築に着手した時点では、東京―大阪間を結ぶ東海道本線の構想は固まっていたものの、詳細なルートまでは決まっていなかった。つまり、東海道本線が四日市を通る可能性も残っていた。