佐藤:例えば、ホストクラブなどで「男性に優しくしてほしい」というような欲望は買えますよね。

シマオ:まあ、そうですね……。

佐藤:また、高い医療を受けることで「人生の長さ」を買うこともできます。

シマオ:命さえも購入できる世の中ということですね。

資本主義は何でも金銭的な価値に置換できる

佐藤:要するに資本主義社会においては、何であっても金銭的な価値に置き換えられる可能性がある。だからこそ、その万能感が人々を錯覚させやすいんです。先ほど、シマオ君は「お金が欲しい」と言ってましたが、どうしてですか?

シマオ:え? 何でって? 普通お金は欲しいじゃないすか……。

佐藤:なんで、お金が欲しいんですか?

シマオ:それは、欲しいものを買えたり、いいところに住めたりするから……?

佐藤:欲しいもの? 何が欲しいんですか?

シマオ:いや、今すぐには特にないんですけど……。

佐藤:シマオ君、あなたはお金が欲しい。なぜなら、お金が欲しいから。そういうことなんです。

シマオ:どういうことですか?

佐藤:つまり、何かが欲しいのではなく、お金そのものが欲しい。紙幣や貨幣、そのものを欲しているんです。私はそういう人のことを「拝金教徒」と呼んでいます。自分の人生の価値を「お金」だけで考えてしまい、目的なくお金を貯めようとしてしまう人たちのことです。

シマオ:ぐっっっ(痛い……)。

佐藤:なんでお金を拝んではいけないと思いますか?

シマオ:お金稼ぎばかりを目的に動くようになってしまうから?

佐藤:いや、お金を稼ぐこと自体が悪いわけではありませんよ。稼いだお金を自分だけのものとしてしまうことが悪だとされるのです。

シマオ:自分だけのもの。

佐藤:お金持ちにもいろいろな人がいますよね。新約聖書の『マタイによる福音書』には、「地上に富を積んではならない」という言葉があります。

「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」(『マタイによる福音書』第6章19-21節)。

地上の富とは、つまり蓄財。自分のところだけにお金を集めることです。しかしそれはキリスト教では悪とされています。私たちに与えられた能力というのは、神様からもらったものだから、それを返さなければならない。けれど、神様に直接返すことはできないから、隣人に返しましょう、ということです。