与野党が激突した10・31衆院選は、自民党が単独で絶対安定多数の261議席を獲得、公明党(32議席)を加えた与党合計でも公示前勢力(305議席)に迫る293議席と事前の苦戦予想を覆して勝利した。

国民の信任を受けた岸田文雄首相は、11月10日召集の特別国会冒頭での首相指名を受け、第2次岸田政権を同夜に発足させる。そうした中、自民党内では、衆院山口3区で参院から鞍替えした林芳正元文科相が圧勝し、「次回以降の総裁選への挑戦権を獲得した」(自民幹部)ことが注目されている。

当初、林氏の鞍替え出馬には自民党内の賛否が交錯、当選10回で現職だった河村健夫元官房長官との激しい公認争いは「山口3区の乱」と呼ばれた。しかし、衆院選公示直前に河村氏が不出馬・政界引退を表明したことで、表向きは“円満決着”の形となった。

ただ、対立と迷走を繰り返した公認争いの舞台裏は「政争そのもの」(岸田派幹部)だった。総裁選をめぐる党内の権力闘争だけでなく、次期衆院選の公認争いに「ポスト岸田」まで絡む「まさに権謀術数のるつぼ」(自民長老)だったのが実態だ。 

二階氏の後ろ盾を失った河村氏

林氏は岸田派ナンバー2の座長で、河村氏は自民党二階派の会長代行だった。このため山口3区の公認争いは、岸田、二階両派のメンツを懸けた代理戦争となった。しかし、総裁選での岸田氏勝利で、幹事長だった二階俊博氏が「自民最高実力者」の座から追われたことが状況を一変させた。

甘利明幹事長(衆院選後に辞任)を軸とする新執行部の判断で、それまでの「現職優先」方針が覆り、結果的に二階氏という後ろ盾を失った河村氏が涙を飲んだ。もちろん二階派は激しく反発したが、党の情勢調査で河村氏が劣勢と主張する執行部に押し切られた。

河村氏は引退の交換条件として後継者の長男・建一氏の比例優遇を求め、遠藤利明選対委員長も河村氏の党への貢献を評価して、いったんは10月15日に建一氏の比例中国ブロックでの上位登載を内定した。しかし、翌16日に党山口県連から「(建一氏は)県連とは何ら関わりのない候補」とする抗議文が提出されたことで、それが覆った。