NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は1931年に91歳の長い生涯を閉じた。今年2021年は没後90周年にあたる。その渋沢が、最後の事業として取り組んだのは「田園都市」をつくることだった。

それは1918年に「田園都市株式会社」を設立したことから始まる。渋沢はまず、現在の品川区・目黒区・大田区の3区にまたがるエリアの開発に取り掛かった。この住宅地は「洗足田園都市」と呼ばれるようになる。しかし、初めてのチャレンジだったこともあって完成度は決して高くなかった。

その完成前から、渋沢は自身を完全に満足させる田園都市の第2弾に着手した。理想を実現するべく、4男の秀雄を海外視察へと派遣。その成果が生かされたのが、田園調布だった。

「理想の街」求め試行錯誤

田園都市は、イギリスの社会学者だったエベネザー・ハワードが提唱した考え方だ。イギリスは産業革命によって工業化が一気に進展。首都のロンドンは経済的に飛躍を遂げた。他方、工場が排出する汚水や排煙により、ロンドンの住環境は劣悪を極め、健康的で文化的な生活に適しているとは言いがたかった。

ハワードは、郊外に住宅を構えて近隣の職場に通うというライフスタイルを築くことで住環境の改善を図ろうとした。日本でも、内務省がこれに着目。官のみならず、大規模工場で生産力向上を目指していた実業家たちも、従業員の福利厚生を重視して住環境の改善に着手した。

洗足田園都市は都心から離れているので、住宅を構えようとする労働者は少なかった。そこで、渋沢は田園都市株式会社の一部門として東急の前身である目黒蒲田電鉄を立ち上げ、住民の足とした。郊外に住み、電車で職場に通う。現在のライフスタイルでは一般化している“通勤”の概念が、ここから広まっていく。

これだけを見ると、渋沢が描いた理想の田園都市は順調に進んでいたかのように見えるかもしれない。しかし、実際には試行錯誤を繰り返していた。