人間は、動物と違って「自分自身を省みる能力」を持っていますが、その能力をどの程度使いこなせているのかは、人によって雲泥の差があります。自分自身をつねに省みて、自分自身をさらに成長させていこうと努力している人もいれば、ほとんど、あるいはまったく自分自身を省みない人もいます。自己認識をさぼっている人は、たいてい、自分のネガティブな思い込みと向き合うことをものすごく恐れています。

そのため、自分のことをよく思ったときには、他者も自分のことをそのように見ているに違いないと考えます。そして自分のことを悪く思ったときにも、その判断を他者の頭の中に投影します。そうしたことが、あなたにはどれほどあるでしょうか? 

周りの人からデブあるいはブサイク、バカ、つまらない人などと思われていると考えて、気分が落ち込んだりしたことはありませんか? でも、もしあなたが無人島で過ごしているとしたら、このような悩みを抱えるでしょうか? ほとんどの人は、「他の人から見られることがないんだから、自分がデブだったり、ブサイクだったり、バカだったり、つまらない人だったりしても、どうでもいいや」と思うはずです。

要は、本来の自分の姿に悩んでいるのではなく、他者の頭の中に投影された自分の姿に悩んでいます。私たちはその中で自ら自己像を完成させてしまっているのです。

劣等感から相手を「拒否」するように

例を挙げてみましょう。Aさんは、自分はダメで、愛される価値のない存在だと思っています。しかし、この劣等感は彼女にとって耐え難いものであるため、Aさんはこれを抑圧してしまいました。それゆえ、この劣等感は処理されないままになっています。

ある日Aさんは、自分よりも強くて優れていると思っているBさんに会い、その際、自動的に潜在意識下で「Bさんから見下されて、無視された」と感じてしまいました。そのためAさんは、自分を〝Bさんの被害者〟と認識してしまいます。この心の動きもAさんによって省みられていません。

その代わりに、Aさんは同時に、ちょっとした心理トリックを企てます。Bさんのことを「信頼するに値しない、感じの悪い人」と決めつけ、彼女を拒絶することにしたのです。

Aさんのように、痛みを伴う自己認識をできるかぎり避けようとする人は、自分の不快な感情を他者に投影しやすいといえます。本当は自分自身の心の動きから生じている動機や感情、意図であっても、それを自分よりも優れていると認識した人になすりつけてしまうのです。

罪悪感も、このようなやり方で避けられることが多い感情です。たとえば、誤りを犯した人がその誤りを認めたくないときには、その罪を誰かになすりつける、つまり投影してしまうのです。こういうことは、身近な人同士でも、政治の大舞台でも起こり得ます。