山田:そして、たまたま会社から歩いて5分のところに、金融系の大学院ができたことも影響しています。平日の夜と土日だったんですけど、「じゃあ行ってみようかな」と思って、仕事のかたわら通うことにしました。37歳の時のことでした。

想像と違う? 過酷な社会人大学院

ーー当時、ご自身のキャリアアップは考えていましたか。

山田:そうですね。心のどこかで、「余生は大学で教鞭を取れたらいいな」と思っていました。

でも、そういう意味で言うと、教師の仕事は、小学生の頃から夢見ていたことなんです。卒業文集に「将来は教師になる」って書いてあったんですよ。

ところが、なにを間違ったのか大学では教職も取らず、経済系の会計なんかを勉強して金融業界に入ってしまった。ズレていっている自覚はあったんですけど、今振り返ってみると、子どもの頃に夢見たものを迂回して実現したような、そんな不思議な感覚がありますね。大学の教授になろうと思って、金融業界で働いたわけじゃないんですけど。

山田隆(やまだ・たかし)/昭和女子大学グローバルビジネス学部会計ファイナンス学科長。1990年、中央大学商学部卒業後、大和証券入社。1996年から太陽投信委託株式会社(後に新光投信。現アセットマネジメントOne)でファンドマネジャーとして勤務。2006年、早稲田大学大学院ファイナンス研究科専門職学位課程ファイナンス専攻修了。2011年、東京工業大学大学院社会理工学研究科経営工学専攻博士課程修了、博士(学術)。2015年、昭和女子大学グローバルビジネス学部ビジネスデザイン学科教授。2018年4月より現職。(撮影:大澤誠)

ーー実際に大学院に通い始めて、どうでしたか。

山田:好きで行ったけど、結構、地獄でしたね(笑)。

社会人大学院って、社会人が来てるって知りながら、容赦なく課題を出すんですよ。課題が出た日は明け方4時ぐらいまでそれをやって、寝ないまま会社に行って仕事する。しかも、土日も朝から授業がある……という日々でした。

そんな厳しい2年間だったので、指導教官に博士課程を進められたものの、すぐには決心がつかなくて、1年ほど考えていたんです。

でも、先に博士課程に進んだ人から「山田さんのやろうとしている研究のテーマに合う先生がいますよ」と紹介してもらえることになって。そういう縁もあって、「最後まで行ってみようかな」と思って、博士課程にも行くことに決めました。

ーー人の縁も、学び直しに影響していたと。

山田:でも、博士課程に進んだらまたキツくてキツくて。本当に情け容赦ないなあ……と思いながら、学問の厳しさを感じる日々でした。博士号を取得するのに、4年かかりました。もう一回やれって言われても、絶対にもうできないと思います。