一口に資本主義と言っても、さまざまな形態がある。完全に野放し状態で自由に稼働させる新自由主義のもとでの資本主義や、生産資本の極端な独占や生み出された富の再分配に政府が一定の介入をすることもできるケインズ的な修正資本主義もあれば、本来「私有財産」を認めない共産主義の中で、資本主義を一定範囲内で認めたうえで、政府の方針に反すれば、私有財産を没収したり、操業を止めたりする中国式の資本主義もある。

本稿では「資本主義」を、さまざまな政治形態や価値観の中で、それ自体は価値判断や政治的な立ち位置から独立して利用できる「富を生み出す仕組み」と定義したい。あくまでも仕組みなので、利用の巧拙によって、大きなプラスを生み出すこともあれば、甚大な問題を引き起こすこともある。その視点からすると、「悪いのは資本主義」との結論は性急だ。

言うまでもなく、資本主義のプラスの側面はたくさんある。生産性の向上により、人は「生存のための労働」から解放され、今この原稿を読んでいるあなたは、300年前の日本の人々に比べると、圧倒的に自由な時間を持っている(300年前は、生き延びるために一日中、畑を耕し、機(はた)を織り、洗濯をし、水をくむ必要があり、衛生状態も格段に悪かった)。

資本主義という仕組みによって生産性を大幅に向上させ、自由な時間を享受できるようになった。この「余暇時間」は、自分らしい生き方を追求する「幸福(ウェルビーイング)」の基盤である。

資本主義に内包された2つの大きな問題

その一方で、資本主義は「無限成長」を目指すことがその原理に内包されており、そこに大きな問題がある。それは大きく次の2点に集約できる。

1つ目は、「親亀(地球)の限界(プラネタリー・バウンダリー)」を超えた成長を求め、結果、親亀を深く傷つけ、ビジネスの基盤どころか人類の存続を脅かす事態を生み出していること。2つ目は、資本主義の基本ルールは資本を提供し、リスクを取った者により多くの分け前を与えることなので、の仕組みに社会格差が拡大する危険性をはらんでいる(資本の私有化に正当性があるのか、という疑問が呈されることもある)。

資本主義を単に「富を生み出す仕組み」ではなく、「無限成長」と「財産の私有」を前提にした仕組みと定義すると、この2つの問題が生み出されるのは必然であり、その意味において「資本主義が悪い」との批判は当たっているかもしれない。