少女像の撤去をめぐる論争によって、ヘイトスピーチや人身売買、女性の人権への蹂躙といった行為への問題意識がかすんでしまうことは問題だ。ホロコーストの記憶が植民地主義的暴力の記憶から目をそらさせる「目隠し記憶」として働くように、少女像を巡る論争がヘイトスピーチなどの問題から目をそらさせるなら、何かが間違っているという思いを禁じえない。

人々は自分に都合よく過去を記憶する

澤田:韓国では最近、日本大使館前で毎週水曜日昼に開かれてきた慰安婦支援団体の集会に対抗し、こうした団体を批判する保守派団体の集会が同時刻に開かれるようになりました。ベルリンに建つ少女像を撤去するよう現地で集会を開いた韓国の団体もあるそうです。こうした動きが出てきた背景には何があるのでしょうか。

:記憶政治という観点から見るなら、過去は、単なる過去にとどまらず、未来になってしまうから問題なのだ。

元慰安婦を支援する「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正義連、旧挺対協)」と、少女像の撤去を主張する「慰安婦詐欺清算連帯」のどちらにとっても、重要なのは元慰安婦の痛みや彼女たちに加えられた暴力ではない。自分たちの解釈する「過去」こそ重要なのであり、自分たちが信じる過去が絶対の真実だと主張して韓国と東アジアの未来を構想する。

慰安婦の政治的象徴性が問題になるのは、まさにこうした文脈でのことだ。彼らは、韓国の民族主義におけるヘゲモニー(覇権)を激しく争う、互いに異なる路線の民族主義者と言えるのではないか。

元慰安婦の人権問題を民族主義的に独占する正義連の問題は広く知られるようになった。一方で、慰安婦詐欺清算連帯が、日本の歴史修正主義者やウルトラナショナリストと連帯する姿も興味深い。東アジアで展開されている民族主義の敵対的共生という観点からは、韓国と日本のこうした連帯はとても憂慮されるものだ。

澤田:私たちは一連の騒動から、どのような教訓をくむべきなのでしょうか。

:第2次大戦後に地球規模で繰り広げられた「記憶の戦争」を検討してみれば、1つの点が明らかになる。人々は、過去から教訓を得ようとなどしないということだ。過去から教訓を得るよりも、自分に都合よく過去を記憶したがるのだ。そうした流れに逆らうきっかけを作っていくことが、歴史家であり、記憶活動家(メモリー・アクティヴィスト)である私の役割だと考えている。

著者:澤田 克己