国際社会におけるほかの主要国とは異なり、日本は憲法上の制約からも、戦争の反省からも、戦後これまで非軍事的手段を中心的に用いて国際社会で自らの影響力を広げる努力を続けてきた。いわば、経済を中心に対外政策を展開する「エコノミックステイトクラフト」が、戦後日本外交のアイデンティティーの中核に位置づけられたといってもよいであろう。

五百旗頭真神戸大学名誉教授は編著『戦後日本外交史』の中で、「相互依存状況が進んだ国際関係の新局面をも視野に入れて、軽軍備、安全保障の対米依存、経済と通商の重視という吉田路線に帰着した」と述べている。そして、それが「戦後史の基本形をなす点で注目に値する」と書いている。戦後日本がそのような外交路線を邁進した帰結が、「経済大国」としての日本のアイデンティティーであった。

また、冷戦という国際環境が、軍事力の行使をよりいっそう難しいものとした。フランスの思想家であるレイモン・アロンは、冷戦のことを「平和は不可能だが、戦争もありそうにない状況」と定義した。

米ソ間の核戦争が人類の破滅であると考え、西側諸国も東側諸国も、軍事力の行使が「第3次世界大戦」に至らぬよう慎重な行動を試みていた。それゆえ、主要国は非軍事的手段を用いた戦略を活用する必要が増していき、たとえば第3世界に対する経済援助などの手段を通じて自らの影響力拡大を目指すようになる。

実際に日本は、ODA(政府開発援助)を通じて戦略的に東南アジアやアフリカの諸国との関係を強化して、さらに輸出入銀行やその後継の国際協力銀行が戦略的なインフラ輸出を牽引してきた。また近年では、「ODA大綱」を「開発協力大綱」と改称し、経済協力と安全保障とを結びつけて日本の対外経済援助を戦略的に進める傾向が強まっている。

冷戦の終結は、「第3次世界大戦」の恐怖から人々を解放し、その結果として大国による軍事力行使のハードルが下がる結果にもつながった。だが、日本は冷戦後も「吉田路線」としての軽装備を前提とした外交路線を継続し、憲法9条を前提に非軍事的手段で自らの安全と国益を護る努力を続けてきた。ただし、そのような従来の外交路線が現在、行き詰まりを迎えている。それはどういう意味であろうか。

「デグローバリゼーション」と「デカップリング」の時代へ

冷戦後の世界は、分断が終結することによって、世界が1つとなり、グローバリゼーションが進展することを期待した。民主主義が世界中に広がり、資本主義の論理が地球を覆い尽くし、グローバルな1つの市場が成立することが想定されていたのだ。

そのような認識に基づき、日本を中心とする先進民主主義諸国は中国をWTO(世界貿易機関)へと誘い、またロシアをBRICsの一角を占める将来有望な市場として、エネルギーを中心に経済的なつながりを深めていった。