この持ち回り連載は筆者3人のそれぞれが、自分の順番で好きなテーマを選んで書くのが基本だ。

前々回のかんべえ先生(双日総研チーフエコノミスト・吉崎達彦氏)の「異常な日本はいつまで経っても賃上げできない」(7月30日配信)に続いて、前回はオバゼキ先生(小幡績・慶應義塾大学大学院准教授)が「日本人の『賃上げ』という考え方自体が大間違いだ」(8月6日配信)とテーマを引き継いだ。

せっかく持ち回りで連載しているので、筆者も「日本の賃金」について論じてみたい。思うに、3人の議論のいいとこ取りをしていただくと、あるべき制度の骨格が浮かび上がる。

賃金と株価と「セカンダリー・マーケット」の関係

詳しくは(また、正確には)ぜひご両人の論考を再読してみていただきたいが、筆者のまとめでは、かんべえ先生は、アメリカの労働市場の流動性の大きさとその背景にある「アメリカ政府は労働者個人を助け、日本政府は企業を助けている」ことの差を指摘された。そして、オバゼキ先生は「そもそも賃上げは与えられるのを待つものではなく、個々の労働者が勝ち取るものだ」と喝破された。

筆者は、どちらの趣旨にも大賛成だ。金融政策などでは時に意見が対立するオバゼキ先生とも、この件では大いに意見が合ったのだ。

さて、必ずしもピッタリ同じもののたとえではないが、賃金を考えるうえで、株価について想像をめぐらせてみよう。既発行の株式を取引する、東京証券取引所、ニューヨーク株式取引所、NASDAQのようなセカンダリー・マーケットが存在しなかったら、現在の一流上場企業の株価はどうなっているだろうか。

もちろん、株式を上昇していなくても利益を再投資してビジネスを育てて大きな企業価値を持つに至るサントリーのような会社も存在する。だが、起業家にとって、資金を調達したり高い株価を梃子(てこ)にビジネスを急拡大するような動きは格段に難しくなるに違いない。「GAFAM」のように、ビジネスが短期間に急成長を遂げるようなダイナミックな動きは出てきにくいだろう。