覇権をどう定義づけるかということとも関係するが、イギリス人の政治経済学者スーザン・ストレンジのように、「『構造的権力』とは、国際政治経済秩序において、『ゲームのルール』を設定し、それを強制できる国家を指す」とするなら、「構造的権力」をそのまま「覇権」と置き換えることもできよう。すなわち、覇権国とは、ゲームのルールを自らの都合の良いように決めることができる国だと定義づけることができるのである。

言い換えるなら、「プラットフォームを設定する国」こそが、覇権国となる。それは、太古から現在まで変わらなかったと考えるべきではないか。それが、拙著の根底にある主張なのである。

このように考えることで、私はいわば工業中心史観からは自由となった。誤解しないようにしていただきたいのだが、工業が重要ではないと言いたいのではなく、工業生産を増加させることと覇権を握ることは別だと主張しているのだ。結局、覇権国とは、何が正しいのかを決定できる国を意味する。

文明の結合

このように述べてみると、私は国家間の抗争を分析した書物を著したととらえる読者もおられよう。だが、それは私の意図とは違っている。人類は、7-5万年前の出アフリカにより、世界中に棲みついた。すなわち人類は、移動を前提とするホモ・モビリタスなのだ。

人類の移動には、モノや情報の移動もともない、さらには、文化も移動した。出アフリカによって世界中に散らばった人類は、定住生活を送るだけではなく、各文明がホモ・モビリタスによって結ばれることになった。それにより、物流が盛んになった。「移動」ということに焦点を当てた研究は、必然的に物流を扱う研究になる。だがそのことに、人々は気がついてこなかったのではないか。

メソポタミア文明とインダス文明のあいだに交流があったことは比較的広く知られている。メソポタミアとエジプトが一体化したオリエントとインダス文明の商業関係は強くなった。そのため、現在の中近東からインドまでが1つの経済圏になった。そして、オリエントからはじまったフェニキア人の交易圏がジブラルタル海峡にまで達し、地中海からインドに至る経済圏が誕生した。ユーラシア大陸のかなり多くの地域が、1つの経済圏となった。